彼は大変なものを盗んでいきました



 空には満ちすぎて欠けた月。
 灯を落とした部屋の中、その少女は笑っていた。
 月明かりをつむいだような銀髪、月の光しか浴びたことがないような白い肌を、夜の色のリボンとドレスで包んで。
 まるで今宵の月を人形に仕立てたような少女だった。
 ただ、爛々と輝く双つの赤い瞳だけが異質で、人形を少女にしていた。
 少女はドレスの裾を持ち、小さく膝を折って礼をする。堂々と、まるで女主人のように。
「ようこそ、怪盗さん。あなたをずっと待っていたわ」
 その瞬間、囚われてしまったのは私の方だったのかもしれない。

「私ね、この屋敷から逃げ出したいの」
 上質な紅茶の香りの向こう側で、少女がさえずる。
「退屈な社交界もお仕着せの贅沢も、パターン化した貴族生活なんてもうたくさん。
それだけでも憂鬱だというのに、なけなしの自由さえもうすぐおしまい。私は出世の道具として、お嫁に出されてしまうのよ。ハゲともデブともヒゲともわからない、どっかの領主のところへね。
そんなの、ゆるやかに死ぬのと同義だわ。」
 だから私を連れ去ってちょうだい、と少女はねだる。私は仮面の下で笑った。
「無鉄砲なお嬢さん。外はあなたの望む楽園ではありませんよ。」
 彼女がもう飽きたもうたくさんだという生活は、どれだけ恵まれていることかこの 少女は知るまい。
「第一私も貴女をどうするやら。人買いに売り飛ばすか、苦界に放り出すか。
それともどこぞのジャックのように、ナイフで貴女を切り開いて、ばらばらにしてし まうかもしれませんよ」
 美しい人形は美しいケースに収まっているのが一番なのだ。たとえそれが狭くありきたりで息苦しいものだとしても。自由を求めて花畑に遊べば、あっという間に汚れてぼろぼろになってしまうのだから。
 しかし少女はなお、赤い瞳で笑うのだ。
「それもいいわね、どうせいつかは死ぬんですもの」
 白い指先をうっとりと組み合わせ。
「そのときは思いっきり猟奇的に、派手にやってくれなきゃ駄目よ。鮮血でこの肌を染め上げて、薔薇色の臓物を引きずり出して。腕か足の一本ぐらいは、現場からなくなっているほうがミステリアスかしら。そして私は、身の毛もよだつ惨劇の憐れな被害者として、翌日の新聞のトップ記事を飾るのよ。」
 その赤い瞳を何にたとえるべきだろうか。
 ルビーと呼べるほど澄んではいない。
 薔薇と呼べるほど優しくもない。
 血のように熱く、冷たく、閉じ込められた感情がぐるぐると渦を巻く。
 私は何を見誤っていたのだろう、彼女は少女ではなく、人形であるわけもなく、とんでもなく厄介な怪物だ。
「さぁ、私を盗みなさい。そうしなきゃ、この屋敷中に響き渡る悲鳴をあげてやるわよ」
 ああ、なんて無茶苦茶な脅迫だろう!
 私はもう笑うしかない。
 どうしようもなく愉快な気分になっている、私も相当狂っているのだろう。

 私は白い少女を抱きかかえ、窓の外へと身を躍らせる。
 ああ、私はきっと大変なものを盗んでしまった。


++
 タイトル略称は『彼は大変』。内容的にはむしろ『彼大変』。
 新入生歓迎イラスト展示の、ほなみさんとの合作絵からの妄想作。こういうおふざけ作品はするっと書けます。
 仮面の男一人称で。
 仮面の男の掘り下げがあんまりできなかったのが残念。
 部誌掲載時は、ほなみさんが仮面の男の方について熱く語ってくれてる後書きページがあったのですが…
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