琥珀色の灯りが、輪郭を淡くぼかしている。店内には酒と煙草の香りがする淀んだ空気が満ちていた。さざ波のようなざわめきの間を縫って彼らは話している。
「カナン?…ああ、あれか。一頃、噂になったやつ」
右目に眼帯をした男はぐっとジョッキの中味を飲み干して続けた。
「『精霊の隠れ里』…だが、そりゃ昔の話だ。今はもう狩られ尽くした。」
「ええ、だけどね」
からん、とグラスを回して向かいに座る男は言った。目深にかぶったフードが彼の顔に影を落としている。口元に彼は笑みを浮かべた。愉しげな、嘲るような。

「教えてあげよう」


再動



 墓標を作ったのは、アズールだった。骸も魂もすぐに『冥界』に還ってしまったというのに。しかし今年も墓標の―空の墓の前に私は来ている。

 今日は彼らが逝った日。

 乾いた風がシディアの銀髪を揺らした。一足先にアズールが来ていたらしく、墓標の前には真っ白なユリが捧げられている。冷たい十字架を無言でシディアは見つめた。いつもとは違って冷静に。
 この墓標の前に立つときはいつも、いくら時が経っても薄れることのない…むしろ時が経つほど酷くなる痛みを感じながらだった。あの時、何もできないまま死なせてしまった。今になっても、奴の居場所さえ分からない。自分を罵り、必ず最後にはこう誓う。
『絶対に、奴はこの手で殺す―たとえこの身が滅びても』
毎年毎年、繰り返し。
 …その愚かさ加減に気付かされたのは、つい最近のことだ。
 シディアは小さくため息をついて、声には出さずにすみませんと呟いた。
 きっとそんなことを彼は望んでいないのに。
 ジーク。
 今年は他に話したいことがあるんだ。
 もう、何を言っても彼に届くことはないし、彼も一言たりとも語りかけてきてはくれないのだけれど。こんなのは自己満足の独り言に過ぎないのだけど。冥界に還ってしまった者は魂さえも消滅する、ということを忘れたことにして…。
 そろそろ行くか、と思ったときシディアはヒュンと何かが空を切る音を聞いた。
「!」
はっとしてシディアは振り向いた。避けきれず刃が腕を掠める。男はちっと舌打ちをした。
「気づきやがったか…」
男は腕を振って刃についた血を払った。右篭手に剣の刃が付いている少々珍しい武器だ。男は眼帯をしていない左目だけでシディアを睨みながら言った。
「一応確認しといてやるぜ。お前、カナンの霊石精霊の生き残りだな?」
「お前…賞金稼ぎか」
「アタリってことだな?」
確認するように言って男はにやっと笑った。
「ガセかと思ったが…あいつ、マジだったんだな」
「…あいつ?」
シディアは眉をひそめて聞き返した。
「おしゃべりはここまでだ!」
一方的にそう言い放ち、男は腕を振り上げた。シディアはちらっと後ろを振り返り、短く呪文を詠唱した。振り下ろされた刃は魔力の障壁に阻まれてシディアには届かない。シールドを解き、シディアが地を蹴るのと同時に彼女の背には羽が現れた。光の羽で空に舞い上がり、シディアは男の様子を見ながら飛ぶスピードを加減した。

 シディアは辺りに何もない荒野に降り立った。
「…はっ、諦めやがったか。」
「違う」
即答。少々むっとしたらしく、男は眉間に皺を寄せた。
「骸は埋まっていなくともあそこは墓だ。墓標を壊すような真似はしたくない」
「…たいした余裕だな」
「撒こうと思えば撒けた。だが、聞きたいことがある。…『あいつ』とは誰だ?」
唇の端を歪めて男は笑った。
「聞いてどうする…今から俺に殺されるお前なんかが!」
助走を付けて男は斬りかかる。しかしその刃は虚しく空を切った。
「…一度やられでもしなければ答える気はないようだな」
再び男の攻撃が届かない上空へ舞い上がり、シディアは呪文を詠唱し始めた。その手にまばゆく白い光が集まる。
「―レイスプラッシュ」
光は8つの球に分裂し、異なる軌道を描いて男に命中した。
「がッ…」
男の呻き声と共にバキッと鈍い音がした。光球の一つは男の右篭手の刃を砕いていた。音からして、右手首の骨も一緒に砕けたようだ。刃の破片がバラバラと地面に落ちる。シディアは男の前に舞い降りた。
「さぁ、答えろ。お前にカナンのことを教えたのは誰だ?」
男はシディアを睨み付けながら言った。
「…知らねぇよ。酒場で会った余所者だ、名乗りもしなかった」
「…そうか」
おそらく本当だろう。それ以上の情報は得られそうにもないな。そう思ってシディアは小さくため息を付いた。
「ああ。ついでに言えば…」
男は懐に手を入れた。
「こんなもんもくれたぜ!」
言い放ち、男は地面にそれを叩きつけた。小さな、漆黒の水晶球だ。シディアの足下でそれは音を立てて割れ、糸のような物が吹き出した。
「なっ…!?」
蜘蛛の糸のようなそれはとめどなく吹き出し、シディアにまとわりつく。上空に逃れようとしても、既に糸は羽にも幾重にも絡みついていて、思うように動かせない。その糸は強い魔力でできているらしく、髪より細いにも関わらず力では千切れそうになかった。呪文を詠唱しようとしたシディアを男は殴りつけた。
「させるかよ…ははは、ざまぁねぇな!」
さっきまで偉そうにしてたくせに、と言って男はもう一発シディアを殴った。
 糸は足や手、羽の自由を奪ってもなお吹き出し、ついにはシディアの全身を覆い尽くした。
「(窒息死でもさせる気か…?)」
視界が糸に覆われて、何も見えない。ただ、はっきり聞こえる男の罵声が不愉快だった。さらには、こんな罠にあっさり捕らわれている自分が。
 くらりと貧血を起こしたような眩暈がした。魔力が流れだしている。おそらく、糸が吸い取っているのだろう。このままこの糸に捕らわれ続けていたら、すべての魔力を失ってしまう。
 その前に。
 糸にはじき返されるか、吸収される可能性もあるが攻撃呪文をぶつける。
 シディアは詠唱を始めた。
「―聖の元に厳烈なる裁きを…」
それは、古い言葉で紡がれた呪文だ。もはや伝わっていない、忘れられた呪文。
「セレス!」
純白の閃光が、炸裂した。光はまとわりつく糸を吹き飛ばす。
 辺りにもう人影はない。あの男は…逃げたか、セレスで一緒に消し飛ばしてしまったかどちらかだろう。
 シディアは右手の剣をみつめた。…聖剣セラフィムエッジ、熾天使の剣。何故これが再び私の手元にある?あの事件の後、忽然と消えてしまったこの剣が。シディアは釈然としない思いを感じながら、聖剣の刃の具現化を解いた。
「一体…何だったんだ」
何一つはっきりしない。ただ…何かの予兆なのかもしれない、と言う気が漠然とした。

 空高く、一羽の小鳥が飛んでいた。その羽は、とても鮮やかな赤。笑うようにさえずって、小鳥は飛び去っていった。

「君たちは何処まで強くなってくれるかな?」
金色の瞳を男は眇めた。
「私の元に辿り着くまでに」
男の肩で真紅の小鳥は媚びるように啼いた。
「せいぜいあがいてもらわないとね…楽しみにしてるよ。シディア。アズール…」
男は声を立てて笑った。とても、愉しげに。ばさり、と音がして男の背中に翼が広がる。その羽根は、血のような紅―
「もうすぐ、会いに行ってあげるよ。また、壊してあげる」

 再び因縁は動き始めた。
 

afterwards
 この間、後書きがあまり好きでは無いという意見を聞きました。雰囲気が壊れる、というのがその理由だそうです。皆さん、どう思われますか?私の話の場合、補足を入れないといけない部分がありますし後書きがないとなんとなく収まりが悪い気がします。後書きも、面白ければ良いのではないでしょうか。私は結構、後書きは好きです。作者の素が見えて。
 えーと…今回のこのSS、異様に短いですね。特に、アイテム発動からラストまでの展開を急ぎすぎた気がします。たぶん、書いたのが深夜でテンパってたんでしょう…(凹)あーあ。それと、メインキャラがシディアだからっていうのもあります。今回アズールも登場せず、ほぼずーっと一人だったので会話の掛け合いがない。ザルツだと、単独SSでも必ず友人が出てくるんですが…。とにかく、かなり失敗した部分があります。次回はその辺の反省を活かしてもうちょっとまともなモノに。内向的で黙りがちなシディアは小説書きにとって結構鬼門です…。
 そして、ついに名前は出てませんが奴登場。口調は最後まで悩みました。その結果、なんかザルツとアズールを足したようなしゃべりに。…ダメじゃん(泣)。これで一人称『僕』だったらアズールのセリフと区別が付きづらい…
 お目汚し、失礼しました。もし良かったら感想プリーズ。
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