変調



 泉は、部屋のカーテンを開け放った。窓から射し込むのは柔らかな陽の光だ。
「もう、春ですね…」
窓の外で、雀が囀った。
 シディアが泉の所に来てから、早一年が過ぎようとしていた。多くの仲間と目的を共にした大陰との長い戦いにも終止符が打たれ、今は黒川市には平穏が戻っている。この一年、ギュプロム―シディアの仇に関する手がかりは皆無と言ってよかった。けれど…
 けれど、シディアさんは少し変わったと思う。
「こんな風に、ずっと平和ならいいですね…」
ギュプロムは見つからなくても、いや見つからない方がいいんじゃないだろうかと泉は思い始めていた。今、本人にそんなことを言ったら反発されることは間違いないが。
 心の傷は消えない。でもその痛みは、ゆっくりと癒えていくものだから。
 泉は小さく伸びをして、台所に向かった。作るのは、二人分だ。

 今日もいつもと変わらない。しかしほんの少しの違いがあった。
「あれ?シディアさん、それは…」
シディアが薬を出しているのを見て泉は声を掛けた。カプセルに見覚えがある。たしか頭痛薬だ。以前は毎食後ぐらいに飲んでいたが、最近はほとんど飲んでいなかったはずだ。
「また頭痛ですか?」
「少し」
泉が心配そうな顔をすると、泉が口を開く前にシディアは言った。
「大丈夫ですよ、よくあることですから」
「そうは言いますけど、少し顔色も悪いですよ?」
「そうですか?自分だとわからないんだが…」
返す声も、なんとなくだるそうだ。普段から聞いていないとわからないぐらいの差ではあるのだが。
「ちょっといいですか?」
泉は、シディアの額に手をやった。
「…やっぱり。熱あるじゃないですか」
折しも、季節の変わり目。少しの無理で体調を崩しやすい時期だ。指摘されてシディアはばつの悪そうな顔をした。
「まぁいいか、この薬どうせ解熱鎮痛剤…」
「良くないです。」
きっぱりと泉は言った。
「ダメですよ、風邪はこじらせると結構厄介なんですから」
「だから、薬は飲みますよ」
「シディアさんの場合、保険証は持ってませんよね?」
嫌そうなシディアの言い分を却下して泉は話を続けた。『シディアさんは大丈夫じゃないときまで大丈夫って言うんですから』と泉が説教したのは結構前だ。諦めてシディアはため息をついた。
「保険証はいいですよ、あいつに連絡すれば」

「―で、私ですか。」
確かに日本人どころか人間じゃないんですから、保険証ありませんからね、と言ってザルツは苦笑いした。一応ザルツの医師免許と薬剤師免許は本物だ。総合的な知識があり、冥界生物特有の所も知っているのでこの場合どんな医者より適任と言える。
 ちなみに同じ理由で、アズールのことも診ている。
「なんかもう、私が主治医ですよね」
いつから私こんな面倒見の良いキャラになったんでしたっけ、とザルツは呟いた。
「別に良いだろう、たまには他人のためになることにその頭を使うのも」
「…言いますねぇ、あなたも。最近なんか口が悪くなってませんか?」
良く言えばしたたかになった、とも言えるが。泉の影響だろうか。泉は毒舌キャラではないが。くすくすと泉は笑った。
「それで、どうなんですか?やっぱり風邪?」
「そうですね、この人自分の体のことほとんど考えませんから」
ザルツもあんまり健康的な生活はしていないが、シディアはそれ以上だ。放っとくと不摂生の限りをつくすので、人間ならもっと医者の世話になっているはずだ。
「最近は泉さんと一緒だからちょっとはマシだと思ってたんですけど…性格変わらないと無理でしょうかね」
「お前にだけは性格にケチを付けられたくはないが」
「ははは、薬にっがいのに変えてあげましょうか?」
そういうところが性格悪いと言ってるんだ、と呆れ気味にシディアは言った。苦い薬が嫌だという年でもないが。
「それにしても、シディアも良くも悪くも人間らしくなったものですよね」
「……」
「泉さん、朝は薬飲ませてないって言ってましたよね?すぐ飲んでもらいますから水お願いします。」
「ああ、はい。」

 泉が部屋を出て、しばらくするとシディアはぼそっと呟いた。
「なにが『良くも悪くも人間らしく』だ、空々しい」
「嘘も方便。あなたも暴露されるのは嫌だろうと思ったんですけど?」
「…それはそうだがな」
精霊は人間と同じ風邪にはかからない。体調を崩すことも、人間よりはずっと稀なことだ。特にシディアのような霊石精霊は限りなく生物らしくない生物だ。その体は魔力の結晶、姿は似ていても人間とはまるで違う。
「やっぱり、大陰と戦ったときの無理が響いてますね」
笑みを浮かべずにザルツは言った。
「そうなんだろうな」
他人事のようにシディアは返す。ザルツは眉をひそめた。
「自覚だけあるってのはたちが悪いですね。わかってるんなら…」
「別に今日明日どうこうなるわけじゃない。…無駄に心配させるのも自分を壊れ物みたいに扱うのもごめんだ」
「あなたは…」
言葉半ばでザルツはため息を付いた。
「基本的に対症療法です。体が痛めば鎮痛剤を、熱が出れば解熱剤を出すとしましょう」
「それでいい」
淡々と言うザルツに素っ気なくシディアは応えた。
 変わったようでも、根本はまだ変わっていないというわけだ。泉さんは、それができるだろうか。
「人間らしくなった、って言ったのは本当なんですけどね」

 ドアが開くと、ザルツはいつも通りの笑みを浮かべて振り向いた。
「あ、すみません泉さん」
その切り替えの早さは流石だ。そういったことに聡い泉でさえまったく気付いた様子はない。ザルツは泉に薬の説明を始めた。
「―それと、余った薬は、似たような症状の時シディアは使って良いですけど泉さんは使わないでくださいね。シディアの体質をふまえて作ったものなんで、泉さんが使うと効果が変わってしまうかもしれません」
普通の薬でも、他人が使うのはあまり良くないとされている。この場合、種族の差もあるので若干ニュアンスが違うのだが。
「じゃあ、はいシディア」
ザルツはシディアに水の入ったコップと薬を手渡した。前回と違って粉薬だ。いつもはカプセルか錠剤なのに珍しいな、と少し思ったがそれ以上は何も考えずシディアは口に入れ、…思わずむせかけた。
「……っ」
「あははは、有言実行です☆」※真似をしないように。
「…、お前、わざわざやったな!?」
シディアが怒鳴ったときにはもうザルツはドアのところにいた。
「安心してください、他のはそんなじゃないですから!」
それだけ言って、反撃を受ける前にザルツは楽しげに笑いながら部屋を出た。
「まったく…暇人が」
「水、もう一杯飲みますか?」
「…すみません」
口の中には苦みともえぐみともつかないすさまじい後味がまだ残っていた。一体何を混ぜたんだか。一応、毒にも効能を変質させる物にもならない物だとは思うが。注ぎ足してもらった水をシディアは一気に飲み干した。
「今日は、お店の手伝いの方はいいですから」
「え、いや私は…」
泉はにっこり笑ってその先を遮った。大したことじゃないのに、とシディアは言い淀んだ。
「じゃあ、その代わり明日までに治すってことで。ね?」
「…はい。」
ためらいながら、シディアは微笑った。

 …この人を、いつまで騙すことになるのだろうか。




afterwards
 今回は敢えてシンプルなデザインで。色をまったくいじってません。
 泉とシディア中心の、ほのぼのした話…と見せかけてシリアス。 しかし、メインのシディアと泉より、ザルツが目立っている気がしますね…。あれ?(汗)
 ところで前々から思ってたんですが。お二人さん、それ同棲って言いませんか。ファンタジーな旅ならともかく、なんでこの二人ナチュラルに同居生活やってるんだろう…。なんか、少年マンガなノリのTRPGでは異質ですよ、同棲(連呼するなよ)って。のほほんと鈍感じゃ何も起こりようがないけど…泉さん、あれでも(ほんのり失礼な言い草)妻との居た身なんだよなぁ。(そういうこと考えるなよ…)(二人の行動そのものより作者の考えの方がいかがわしい)
 …後書きのせいでシリアス台無し☆
 感想お待ちしております。 inserted by FC2 system