それはときに霞より淡く、ときに血より濃い
浮き草のようにふらふらと彷徨い、澱みのようにこびりついて
ときに人の背を押し、ときに人を縛りつけ、ときに人を刃のように切り裂く
人はそれをいつまでも留めようとして
人はそれから逃れようと躍起になる
それは歪み、無数に重なり連綿と続く
終わりも始まりも見えない


接触


「あーもう、なんなんだこいつは!」
ロードは報告書の束を放り上げた。ばさばさと舞い散るそれを見てザルツが眉根を寄せる。
「やめてください、他のと混ざるじゃないですか」
「構うか!どうせ全部ジャンクじゃねぇか」
乱暴に音を立てて椅子に座り、背もたれに寄りかかって瞑目する。苛立ちを隠しもせず、髪をかき上げてロードは舌打ちした。
「…こうまで手こずらされるとは思わなかったぜ」
「それなりの覚悟はしてましたがね…いいかげん私もうんざりしてきましたよ」
さすがは邪悪でも『神』ということか、と呟いてザルツはため息をつく。
 ギュプロム。シディアが追い続けている仇、深紅の双翼持つ邪神。
 流石に表の情報網を使っても影さえつかめはしないが、ほんの少しきな臭いルートであれば濡れ手で粟を掴むように次々と彼の情報は入る。彼が手にかけたのはカナンだけではなく、他にも無数の村や街、果ては国までも滅ぼした記録がある。殺した人数などは多すぎて把握のしようがない。標的に共通項は見つからない。…『何かが彼の目についた』ただそれだけなのかもしれない。
 ザルツも清廉潔白とは程遠い身だが、それでも眉をひそめるものがあった。
 正義を気取る気もないが、これはシディア達の私怨を別にしても野放しにしてはおけない存在かもしれない。最低のシリアル・キラーだ。
「で、どーするよ?ギルドを変えたぐらいじゃジャンクが増えるばかりだぜ、この感じだと。」
 しばらく前までは探っても探っても目撃情報一つでてこなかったのだが、最近では逆にあっけないぐらい容易に情報は手に入る。しかしその質は悪い。どれもこれも古い物ばかりなのだ。新しい物で一ヶ月前、それさえも調べ直せば擬装というケースもある。さんざん空振りしたあげく、後でニアミスだったらしいことが判明したときには個人的な殺意もわいた。向こうは数枚上手で楽しんでいるのだ、この状況も。
「埒があかない、か…」
「けど、退くことはできない…だろ?」
ロードは長方形の報告用紙で器用に紙飛行機を折って、宙に投げる。紙飛行機は乱雑に積み上げられた報告書の上に、乾いた音を立てて乗った。
「『退くことはできない』じゃなく『退く気はない』ですよ。」
「だろうな」
ふっと彼らは笑った。軽く瞑目し再び開いて、表情から笑みを消しザルツは言った。
「…覚悟を決めるとしましょうか」

 虚空に漆黒の羽根が舞う。二人は洞窟の入り口のような場所に降り立った。空はぎらぎらと油の膜のように揺らめき紅い。
「相っ変わらず気色悪…」
「主の趣味なんでしょうかね、これ」
ありえそうで嫌だ、と呟いてザルツはニックスを亜空間に帰した。先陣を切って、洞窟の中に一歩踏み込む。洞窟の中には足下も壁も天井もびっしりと根のようなものが貼りついている。いや、その根のようなものでこの地の地面は出来ているのだ。
 風には笑い声と悲鳴と怒号がごたまぜになったような呻りが乗り、奥にいくに従って強く、頭に直接響く。ロードは軽く顔をしかめた。
「…あなたまで奥に来なくても良かったんですよ」
平凡な人間の体を使っているロードはどうしても耐性が低い。眉根は寄せたままでロードは笑ってみせた。
「らしくもねぇ心配してんじゃねぇよ」
ふっとザルツも笑い、それ以上は何も言わなかった。
 最深部へと近づいてきたとき、洞窟の両壁から二人の少女が現れた。
「主様へのお客様」
「主様へのお客様」
同じ顔、同じ声で言って彼女たちは笑った。
「よう、幻影の双児《ファントム・ツイン》。お前らだけは可愛げあるよな」
ふわり、と音も羽もなく宙を舞い、幻影の双児は彼らの前を行く。
「探しているのね」
「赤。血より赤い」
「主様がお待ちです」
「無くした光は幻覚の中でいっそう輝く」
「怨嗟は祈りに似ているわ」
「怒りより深い悲しみが」
「主様は言っていた」
「あの空のような―」
語りかけるでも、独り言でもなく口々に呟いていた少女達は不意に口を噤んだ。現れたときと同じく音もなく消える。
「馬鹿だな、また来たのか」
傲岸に彼は笑った。
「久しぶりだな、小僧ども」
豪奢なローブを纏った、ダークブロンドの青年。その背には白と黒の翼が一枚ずつある。仮の名をオラクル、この空間の主であり、この空間そのものでもある。
「前に来たのは…430年前だったな。少しはマシになったか」
「御託はいいから、さっさとどいてください。オラクル」
「ふん、相変わらず生意気なことだ」
彼の背後、最深部には根が集まって大きな球のような形を成している。グロテスクな肉色をしたそれこそがこの空間の、いやある意味では無数に重なる世界の中心だ。神の眼、世界の記憶、感覚球―世界に遍くその根を伸ばしありとあらゆる存在の記憶を持っている。幻想の双児も、オラクルもその膨大なデータが作り出した泡沫の幻影だ。
 神の眼は全てを知っている。
「だがそのリスクと代償を忘れるなよ」
「生半可な覚悟でここまで来てませんよ」
ザルツはゆっくりと感覚球に手を触れた。神の眼に感覚を繋ぐ。瞬間、閉じた目に極彩の幻影が飛び込んできた。視覚、聴覚に感じられる膨大な情報は、圧力を持っているような錯覚を感じさせる。
 神の眼が全てを知るとはいえ、それにリンクしてもすぐに全てを知ることが出来るわけではない。膨大すぎるその情報を一度に知ろうとすれば先に自分の神経と精神がまいってしまう。また、都合のいいガイドや検索システムなどは存在しない。翻弄されない方法はただ一つ…記憶の流れを辿ること。

 ザルツの視界にあの日の光景が、細部まで忠実に―現実と見まごうほどのリアルさで現れる。
『シディア、あなたは復讐にかこつけて逃げているだけでしょう。再び何かを失うくらいなら、いっそもう何も持つまいと。…あなたはそれを大切に思っているのを通り越して依存しているだけですよ。』
シディアを一度は説得した日。今客観的に見れば、自分もずいぶんと乱暴な賭けをしたものだ。…しかしあいにく今はそんな感慨にふけっている暇はない。特定の情報を辿っていてもなお、耳元に不快なノイズが微かにまとわりつく。長時間、神の眼にリンクするのは危険だ。
 この記憶を選んだのはこれが記憶の交点だからだ。無数の記憶には重なり、近づく交点がある。
「(申し訳ありませんが…観せてもらいますよ)」
ザルツはシディアの記憶の流れに入った。この時ならばカナンに関係する記憶、そして奴に関係する記憶を見つけることはたやすいはずだ。記憶の流れは時の流れに真っ直ぐ沿っているではなくときに大きく曲がり、近づくのだから。時が経っても幾度も鮮烈に思い出す記憶もあり、まったく思い出せない記憶もあるように。
 カナンのこと、ジーク、イリスに関するシディアの記憶を片っ端から流し見ていく。美しい、彼女にとって大切な記憶。それに無断で干渉していることにわずかなためらいも感じた。
「(バレたら殺されかねないでしょうね)」
けれど、そこに可能性があるならば。リスクがあろうが、罪であろうが、禁忌であろうが進むだけだ。

 そして一つの記憶にザルツは辿り着いた。
舞い散る深紅の羽根。むせかえるような血の匂い。目の前で親友を失って、呆然とするシディア…そして、高みに彼はいた。
「―やっと、見つけた」
ギュプロム。その時彼はシディアを見下ろし、酷薄な笑みを浮かべていた。嘲るような、憐れむような。
「さあ、観せてもらいましょうか。あなたの記憶を!」
今度は一片のためらいも感じなかった。彼の記憶にリンクし、ひたすら現在へと時を辿っていく。今度こそ、居場所を掴んでやる。
 先程以上の勢いで流れていく幾多の光景。その一つ一つを観ている暇はなかったが、常に血の匂いと怨嗟の声が聞こえた。そしてついに、現在に辿り着く。
 それはおよそ彼には不似合いな、聖堂の中だった。典麗なステンドグラスは大きく割れ、直に光が差し込んでいる。
「(―どこだ、ここは)」
神の眼から更に情報を得ようとした、その時。
 不意に彼と目が合った。
「―え?」
空気が重みを増す。不快な闇がまとわりつく。全身の神経がざわめく。
ありえない、と考えるが本能が逃げろと告げる。
…いや、退くわけにはいかない。
ここまで近づいたのに。
あと少しで、奴に手が

「…ルツ。おい、しっかりしろ。シン!」
「っく…」
呻き、ゆっくりと目を開くがひどい眩暈に再び目を伏せてしまう。空気からして魔窟の外だということは解ったが、今はそこでも辛かった。内臓と神経を掻き回されたような不快感がまだ残っている。
「気分は解るけど、いくらなんでも無茶しすぎだぜ。深追いしすぎるなんて、お前らしくもない…」
ザルツは緩く首を振った。
「…違う」
「え?」
「時間のせいじゃない」
前に繋いだとき、それから更に鍛えた魔力からしても、あの程度の時間で呑まれるわけはなかった。それなら前兆もあるし、こんなひどいダメージを受けるまでリンクを続けたりはしない。
 紅い空を見上げてザルツは呟いた。
「―干渉されただと…?」
ありえない。あれはあくまで『世界の記憶』どんなにリアルでも現実ではない。気づくわけがないのだ。
「ありえないことだが…そうとしか言いようがないか」
魔窟の入り口でオラクルが応える。神の眼の化身である彼は、この洞窟からでることはできない。
「私にまでとばっちりが来た。…あれだけこっぴどくやられて生きているのは賞賛に値するな」
「しかし…」
言いつのろうとしたがザルツは激しく咳き込んだ。不快な塊が喉をせり上がり、吐き出したそこにまた血の赤を見た。
「やめておけ。…しばらくまともに動けもしないだろうがな」
「……」
ザルツは痺れる指先を、強く握りしめた。

 やはり神、なんて言葉で諦めてなどやるものか。

「…どうなさいました?主《マスター》」
ふいに虚空の一点を見上げた主に、訝しげに彼の使い魔は呼びかけた。くすくすと喉の奥で彼は笑う。
「ちょっとした意趣返しをね。人間にしてはなかなかやるけど…まだ甘いな」
禁忌を恐れぬ者、か。辿り着いてみせるかもしれない。彼ならば。
 それも一興かもしれないが、とギュプロムは呟いた。
「…ゲームの始まりはもうすぐだ。間に合うかな、お前は」


afterwords
 久しぶりのSS投稿です。
 前哨戦、敗退(苦笑)。
 えーと、今回『ブランク長い』ですまされないぐらいアラが多すぎでどこからフォローしたものやら。とりあえず、わかる人にはわかりやすすぎる元ネタがいくつかありますごめんなさい。ネタ自体はかなり前から考えていたものだったのですけどね。アランが出てくるより更に前です。あれだけ嫌ってる能力に近い切り札を持つ男。…使うのと使われるのは別問題なのか…?エゴイストだなぁ。
 オラクルは意外にいいキャラ(≠善人)になりそうなのですが、今後の登場予定がほぼ無いのでもったいないです。やたら設定沢山作ったんだけどなぁ。活かしきれないや。…あんまり書くとよりいっそう元ネタに近づいてしまいそうだっていうのもあるんですが…。
 ああ、そうそう。
 今回ザルツがこっぴどくダメージ喰らってますが、その辺の描写で当初予定だと『吐血』ではなく『嘔吐』してました。そっちの方がリアリティの面だといいのですが(喰らった攻撃は精神的なものなので。過剰緊張の状態になってるのですがその場合いきなり吐血はないだろう。)けどやっぱりどう書いても汚いので『吐血』に逃げちゃいました。ビジュアル的には似たようなもののはずなのになぁ。
 それでは今回はこのあたりで。お目汚し失礼しました。
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