運命〈さだめ〉は巡りゆく
行き着く先は悲劇か、暁光か
捧げたものと得たものは
最後にはディケの天秤を釣り合わせるのか
それは未だ誰も知らぬ
きっと神さえも

異能の代価


 もう一度シディアは時計に目を落とした。次いで、辺りに目を配る。
「…遅いな」
既に約束の時間は30分以上過ぎている。連絡もなしに遅刻するような奴じゃないのだが、と彼女は今日何度目かのため息をついた。その辺りは几帳面、というか律儀といってもいいぐらいの男だと短くないつきあいで知っている。その分、他人の遅刻にもうるさいが。
「今度こそどっかでくたばったかな」
縁起でもないことをさらりと呟く。実際、いつどこで死んでても彼についてはおかしくない。常にハイリスク冒して生きてるような奴だ。
「まぁどうせ、いつもの強運で生き残ってるんだろうが」
一度ラボの方に行ってみようか、とシディアが考え始めたその時、夜空から闇色の羽根がふわりと舞い降りた。遅かったな、と言いかけてシディアは訝しげに眉をひそめた。
「…ロード?」
同じ闇に属すのにまったく違うその魔力。ニックスの背から降りたのはロードだった。前に会った時とはまた体が違う。
「あー、良かった!悪いな、こんなに待たせちまって」
ぱん、と手を合わせ大げさな身振りでロードは謝った。
「帰ってたらどうしようかと思ったぜ。まぁこんなに遅刻しちゃ帰られても文句言えないけどさぁ。あいつ、今ちょっと中東の方の仕事から手が離せなくて…」
「ロード」
まくしたてるのを遮って、シディアは言った。
「…それで、ラボに居るんだな?」
一瞬言葉に詰まったロードは、苦笑いした。
「…やっぱバレバレ?」

 ドアの前、どこか優美に伏せていた漆黒の魔狼はシディアが近づくと自ら静かに起きあがり、脇へどいた。躾のいい犬のようなサーガタナスの振る舞いに、いつものことながらシディアは少し感心する。有能な動物使いみたいだ、と思ったことがあった。あの魔王は例外か、『動物使い』の範疇外ということか。
 一応ノックして、答えが返ってくる前にドアを開ける。どうせ返事はもう聞いたようなものだ。
「やっぱりロードじゃあなたを騙せませんでしたか」
こうなることは予想済みだったらしく、諦めかげんに言ってザルツは苦笑いした。当然だろう、とシディアは返す。
「あんなあからさまな挙動不審、見抜けない方がどうかしてる。」
「…ロードも修行が足りませんねぇ…」
「それに、用事だったならもっと早く連絡してくるだろう?お前は」
つきあい長いんだから、それぐらい解る。そう言ってシディアは長いため息をついた。
「それにしても、今度は随分こっぴどくやられたんだな」
曖昧な空笑いをザルツは返した。さっきからザルツはカウチに横になったままで話をしている。いつもなら、それでも背ぐらいは起こして話すのだが。顔色の悪さがはっきり見て取れた。
「治癒魔法、使ってないのか?」
ザルツの魔力は治癒系には不向きな系統だが、触媒があれば治癒魔法も十分行使できる。大陰との戦いで手に入れたセラフィムリングは、最近はずっとザルツが持っていたはずなのだが。
「…治癒魔法は内傷には効きが悪いですからね」
治癒魔法も万能ではない。外傷には絶大な効果を誇るが、慢性的な病などには効果が薄く、神経や精神からくる症状には無力と言っていい。
「精神干渉、か?」
「ええ。ちょっと深追いしすぎましてね」
「…まさか」
とたんに表情を険しくしたシディアに、先回りしてザルツは応える。
「そのまさかですよ。でも直接対決したわけではないし、結局収穫はほぼゼロでした。残念ですが」
「…そうか」
「すみませんね、後一歩だったのですけど」
落胆した様子のシディアに、ザルツは言った。後一歩。それはザルツとしても悔しかった。ため息をつくシディアにザルツは苦笑いする。
「まぁでも、次は…」
「お前、人のこと言えないじゃないか」
「はい?」
「無茶をするなと人にはうるさいくせに」
虚をつかれて一瞬呆気にとられた表情をした。ワンテンポ遅れて小さく笑う。
「あなたには負けますよ」
後一歩を粘らなければこれほどのダメージを受けなかったのは確かだが、リスクは覚悟していたことだ。少々予想を上回っていたが。けれど。
「後悔はしてないし、する気もない。」
ゆっくりと瞬く。いつもと変わらぬ目でザルツは言った。
「元々私が勝手に手伝い始めたんです。あなたに気にしてもらえようがもらえまいが、勝手に続けますよ。…これは自業自得ですし」
だから気にしなくていい。そう言外に告げて笑う。
「……」
ふい、と一瞬シディアは視線を逸らした。そして、ぺんとザルツの額をはたく。
「そんな顔色じゃ格好ついてないぞ、馬鹿」
「…はは、これは手厳しい」
「だいたい、なんでカウチに転がってるんだ?」
確かそれは仮眠用で、ちゃんとベッドも置いていたはずだが。
「ああ、それは単純な理由ですよ。うっかり資料の置き場が無くなって、とりあえずベッドの上に置いたまま片づいてないからです」
「…本物の馬鹿だろうお前…」
生活スペースまで資料で埋めてどうする。ちなみに、ロードの私室は雑然としてるのでもう資料なんて置くに置けない。
「流石にこの体調だと片づけるのしんどいですからねー…ロードに頼んだら片づいてる部屋まで汚すし」
「私がやろうか?」
「いえ、企業秘密もありますから」
いくらシディアでも手札全ては見せられませんよ、と冗談めかして言う。シディアもそれ以上言いはしなかった。
「せめて頭痛が治ったら片づけられるんですけどね」
「相変わらず薬は効かないのか」
「ええ、まったく」
ザルツは毒物に対する人間離れ、というかもはや生物離れした耐性を持っている。その代わり、薬の効きも極端に悪い。毒と薬は本質的には同じもの。毒を受け付けないということは薬を受け付けないということでもある。特に鎮痛剤の系統は、服毒自殺でもするのかというような過剰量を摂ってもまったく効かない。
 逃れられない痛み。しかしそれが代償だというならば軽すぎるぐらいだ。失ったものに対して。負った業に対して。罪から逃がさぬ枷として。そう思うから、耐えていられる。
 耐えるべきとも、言えるのに。
 静かな詠唱にザルツは聴き入った。シディアの流麗な詠唱は、唄っているようだといつも思う。こんな時は、思い出す。思い出してしまう。かの人を。

「…こら。何してんですか」
「あ、起きんなよつまんねー」
珍しく熟睡してたから、頬に猫ひげでも描いてやろうと思ったのに。残念そうに言うロードから、ザルツは油性ペンを取り上げる。
「今時子供でもやらない悪戯を…」
実行済じゃないだろうな、と頬を擦ってみるザルツにロードは笑って、未遂だから安心しろって、と伝える。
「シディアは帰ったみたいですね」
「ああ、俺が戻るのと同じぐらいに」
ザルツは背を起こす。ロードはカウチの縁に寄りかかった。
「…なぁ、シン。ちょっと意地の悪い質問してもいいか?」
背中越しに聞く。承諾とも拒否ともとれる、わずかな沈黙。ふっと微かにロードは笑った。
「…いや、やっぱいいや」
「そうですか?」
ザルツは何を聞かれかけたか、わかっているようだった。何か言いかけたのを遮るように、ロードは話しかける。
「ところでさ、バレるってわかってたんだろ?」
「そうですね。確率9割ぐらいであなたの負けだろうなと予想してましたよ」
「それ高すぎだろ」
俺に対する信頼とか無いのか、と憤慨したように言ってみる。帰ってきたのは軽い笑い声だった。
「で、それなのに何で俺を言い訳しに行かせたんだ?」
それこそ、聞かずとも返ってくる答えはわかっていたけれど。
「…そりゃあもちろん、私にも見栄ってものがありますからね」
言うと思った、とロードは笑った。

「代わりだなんて思ってませんよ」
聞かれなかった問の答えをザルツは独白する。
「思ってない…つもりなんですけどね…」


afterwords
 動けー!と何度叫んだことか。表情・心情・状況描写だけじゃキツいです。2・3行置きに笑顔描写しそうになるし(ありがち)。しかもザルツばっかりしゃべる傾向が。シディア、もっとしゃべってよぅ。ああ、鬼門だったかもしれないこんなネタ。
 そして前回に引き続き、ザルツの善人度が高すぎです。
 当初はタイトル通り異能中心のストーリー展開になる予定でしたが、今回はむしろうちの奴らの信頼関係がコアか?ザルツとシディアという組み合わせは考えやすいです。まだまだ隠し設定もたくさんあるのですが…あんまりその手の話ばっかり書いてると、泉さんに悪いかなぁ(苦笑)。今回特に、意識して読者の解釈の余地を残した表現をしてます。お好きに深読んでください(笑)。…正直シディアの心情は、作者もよくわからないときがあるしなぁ…。
 ロードとザルツは描いてて楽しいです。
 当初『額に肉』にしようと思ったのですが北欧人だよなぁと思い出して『頬に猫ひげ』に変更。実行させてしまうと後のシリアス展開に響くので未遂に留めましたがちょっとやらせてみたかったかもしれない。きっと似合うから(笑)。
 あ、言い忘れましたが冒頭詩のディケというのは、ローマ神話に出てくる人を愛した正義の女神です。ギリシャ神話ではアストライア。悪行ばかり重ねる人を次々に見捨てる神々の中、彼女だけは地上に残ったが最後は人を憂いながら天に昇ったとされています。天秤座はディケの持つ正義を計る天秤をかたどったものです。
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