倒れ伏したサーガの上に、どさりと重たい音を立てて二つの体が折り重なった。カノンとアイリアだ。サーガほど外見(そとみ)に傷はないが、ぴくりとも動かない。もう息をしていなかった。血の気を失った肌は青白く、以前会った時―戦った時に感じた強い生命力と魔力は欠片も感じられない。それはまさしく捨てられた『器』の成れの果てだった。
「…理由が聞きたい気もしますね。 器としてその身を捧げるほど、あの神に価値があるのか。」
ザルツは3人をまっすぐ見据えて呟いた。『器として身を捧げる』結果待ち受けるものがわからないほど、バカではないだろうに。そうまでして、何がしたかった?あるいは…
「あるいは、無理矢理か…」
ザルツの思考を見透かしたように、レイクが言った。
「…もう、用済みと見なされたんだろうな」
シディアは淡々と呟いた。簡潔な、たぶん当たっているであろう推測。感じているのは怒りなのか、憐憫なのか、それともまた別なものなのか。表情を崩さないでいる彼女の感情を伺い知ることは難しかった。
 一歩離れたところから、アズールは3人を見つめていた。あの様子では、世界に還ってしまうのは時間の問題だろう。かなりなダメージを与えたのはアズールだった。倒した敵を憐れむなんて、普段は考えもしないことだ。どんな理由があれど、殺すつもりでいるならば相手に返り討たれても仕方がない。ザルツはよくストレートにそう言っている。言い方はどうあれ、アズールもそう思っている。けれど。

 彼らは、3人から目を逸らさなかった。逸らせなかったのかもしれない。

 もう一人の、本物のメルフォメネの出現。
 サーガ、カノン、アイリアはあのメルフォメネに作られた存在であることを彼女は告げた。
 メルフォメネは、3人を復活させることを約束した。
 真の神である彼女ならばそれも可能だろう。

 だが、3人が創り主に半ば裏切られ、道具として使われ、そして捨てられたという事実はもう変わらない。

「作られた存在、か…創り主なら何でもして良いなんて勝手だよね」
アズールはそう呟いた。かつての記憶が重なる。何故、創り主は傲慢になってしまうのだろう。何故創ったものに人の形と心を与えながら、絶対服従を求めるのだろう。世界が作った物でも、人や神が作った物でも、それは等しく生き物だというのに。

 それはもう遙か昔、アズールがまだエリュシオン―『箱庭』に居た時のこと。


ボイスレス―創りし者、創られし者(1)



 ―僕は、ここが嫌いだ。
 穏やかな風が、さわさわと草を揺らす。この上なく美しい、澄んだ青の空をアズールはしかめっ面して見上げていた。
 ここは楽土の名を冠する神々の楽園だ。すべてはコントロールされ、最も快適な状態を保っている。冬はなく、夏にもならない常春。穏やかに吹く風。目に優しいグリーンの草原。朽ちることのない宮殿。変わることのない世界。変わることのない顔ぶれ。透明な殻で覆われた箱庭―限りなく美しく、限りなく醜悪な。
 息が詰まりそうだ、とよく思う。
 けれど、僕はそんなことを考えながら、今日も変わらずここにいる。
 アズールは一つ、ため息を付いた。
 くすんだところを見たことがないあの空も、嘘で塗りたくられているんだろう。
「そろそろ、戻らなきゃなぁ…」
戻ったらまた大量の小言と作業を押しつけられるのだろうな、と思うとアズールはうんざりした。同じ押しつけられるのなら、いっそもうちょっとサボっていこうか。
 もう一つため息を付いたとき、整然とした風がほんの僅か揺らいだ。
「…?」
アズールは辺りを見回した。枯れることのない緑、曇ることのない青、遠く見える宮殿。いつもと変わらぬ美しい光景の中に、一つの黒があった。影のように存在感が稀薄なのに、周りにはとけ込めない異質なモノ。引きずるように長い黒衣を纏った人影がそこにあった。視線に気が付いたのか、黒衣の人物が振り返る。顔の半分以上を目深にかぶったフードで覆い隠しているが、かろうじて女性ということはわかった。
「君は…?」
黒衣の女性は、無表情のまま何事か呟いた。しかしアズールには何も聞こえなかった。
「…?ごめん、何?」
彼女はもう一度ゆっくりと呟いた。しかしやはりアズールには何も聞き取ることはできなかった。
「ひょっとして、君…」
中途半端なところで口ごもってしまい、意味不明な問いかけになってしまったが黒衣の女性は無言で頷いた。
「ご、ごめん。えっと…」
黒衣の女性はゆっくりと首を振った。
 その時、ばさりという羽ばたきの音が降る。はっと初めて表情を変え、黒衣の女性は突然踵を返して逃げるように駆けだした。
「え?ちょっと…」
走りづらそうな服装をしているというのに、彼女はやけに足が速かった。アズールが止めるまもなく走り去った黒衣の女性の姿は、あるところでふいにかき消えた。
「テレポート?一体…」
「悪い、なんか邪魔しちまったみたいだな」
とん、と軽やかに青年は舞い降りた。背には森を思わせる深い緑の翼。かちゃり、と彼の腰の剣が音を立てた。肩にはエリュシオン唯一の軍に属することを意味する白銀のティペットがかけられている。
「しかし知らなかったな。ああいうのが好みか?」
「あ、いやそういうんじゃなくて…ただ、変わった雰囲気だったから」
「まぁ、確かにな」
あの女性はエリュシオン神ではない。纏う服装からしても、魔力からしてもそれは明らかだった。しかしいくら完璧ではないとはいっても箱庭のバリアがある以上、『余所者』はここに入ってくることはできない。誰かの眷属だろう。
「気になるか?フード取ったら美人そうだしな」
「だから、そういうわけじゃないってば!」
勢いよく否定するアズールを見て彼は喉の奥で笑った。
「ったく、本気で怒るなよ。やっぱ頭は良くてもまだまだガキだな」
アズールはむっとしたが、その直後生意気そうな笑みを浮かべて言い返した。
「そのガキをガキっぽい方法でからかうアキスの方がよっぽどガキなんじゃないの?」
「ほーう。言ってくれるな!」
「いたた、ちょっ、ヘッドロックは反則!反則!」
「ルールなんか誰も決めてないだろうが、ばーか」
こうしていると、顔は似てないがまるで二人は兄弟のようだった。実際年齢は親子以上に離れていて、アズールの年齢は既に3桁の大台に乗っているのだが。

「さて、とだ」
ひとしきりアズールと(もしくはアズールで)遊んだ後、アキスは軽く手をはたいた。子供のような言い争いは子供のような喧嘩になったが、学神のアズールが軍神のアキスに力でかなうわけはなかった。もちろん、アキスは手加減をしている。余裕で。
「そろそろ行くぞ。あのクソじじい達につきあいたくない気分はわかるが、これ以上あいつを困らせたくはないだろ?」
「…まぁ、そりゃあね」
むすっとしながら、アズールは高位の学神が纏う深い紫苑のティペットを肩に掛けた。
 アズールは今、箱庭をより強固に守る殻を作っているところだ。聖櫃《アーク》と呼ばれる、強力なバリア発生装置。その製作はアズールが関わったことで劇的に進展し、いまや理論を実証するのみとなっている。聖櫃の中枢となるエリクサーを精製することに成功したことで、アズールはプロジェクトと学神の実質的なリーダーに祭り上げられていた。理論が完成した今となってはもう退屈な作業しか残っていないのだが、だからといってアズールが抜けることはできない。もちろん、扱いはこの上なく丁重だ。天才と呼ばれ、高い地位を与えられ、そして、それに比例するかのごとく仕事が増える増える増える増える。難題から別に誰がやってもいいようなルーティンワークまで。扱いなんてものは良いに越したことはないがそれも度を超えるとはっきりいってうざったい。それにアズールは基本的に『単調な物』は嫌いだった。
「まぁ頑張れや、アズリエル様?」
彼の肩を叩きながらアキスは言い、アズールは大袈裟にため息をついた。

 そっと、あくまでもさりげなくアズールは足音と気配を殺して宮殿の東庭に降り立った。…しかし、こっそりというわけにはいかなかった。
「―あーっアズリエル様っ!!」
降りてすぐに、アズールを見つけた研究院のガードマン…もとい、守護軍神は研究員はおろかエリュシオン中に聞こえそうな大声で叫んだ。繰り返しになるがアズールはエリュシオンにとって重要人物。エリュシオンのほとんどの神に顔が知られている。もともと神でも彼のようなディープブルーの髪は珍しいので、遠目にもばれやすいのだった。
「(…ち、中耳炎になりそう…)」
アルコール入ってる時とかは絶対に遠慮したいレベルの大声を聞かされてアズールが軽くひるんでいる間に、どやどやと学神達が建物から出てきてあっという間に彼を取り囲んだ。
「何処に行ってらしたんですかアズリエル様!」
「アズリエル様こちらの件は…」
「やはりあの方陣はアズリエル様に…」
「軽率に離れられては困ります!あなたは自分の職務の責任の重さがわかっておられるのですか?」
「アズリエルさ…」
「ああもう、一気にしゃべらないでくださいよっ!」
アズールは自分がサボっていたことは棚に上げて学神達を怒鳴りつけた。
「ま、自業自得だな」
「あれ、アキス殿?今日は東方警護の任ではないのですか?」
「アキスもサボってたんじゃないか!」
人山の中からアズールはツッコミをいれた。しかし半分くらいはざわめきで消された。
「アズリエル様、第二院からの報告書がですね…」
「…の書類はアズリエル様ではないと…」
「まぁまぁ、皆さん落ち着いて」
その声に、アズールはぱっと表情を明るくした。
「ジーク!」
彼は、困ったような優しい笑顔を浮かべていた。
「そんなに一度に話しかけては、アズールが困ってるじゃないですか。」
「セレスト様…アズリエル様に甘すぎるのではないですか」
苦虫を噛み潰したような顔で、古参の学神の一人が言った。
「おや、私は公平につとめているつもりですよ。誰であっても囲まれて口々に話しかけられたら困ってしまうでしょう?」
にっこりと笑ってジークは返した。
「けど」
アズールに目を向けて彼は続けた。
「もちろんあなたもいけないんですよ、アズール。わかってますよね?」
「はい、ごめんなさい」
苦笑いしながら、素直にアズールは答えた。『もうしません』と続けると確実に嘘になるが。
 アズールを御せるのは、絶対的な主神の他はジークだけだ。ジークは、アズールの師のようなものであり、親のようなものでもある。その背にあるのは、エリュシオンでは特別な意味を持つ空の色に似た蒼の翼。彼の力には学神達はもちろん、軍神も、主神でさえも一目置いているとされる。
 アズールが一応ながら反省したので、学神は胸をなで下ろした。
「さぁ、御公務にお戻りを…」
その時ふいに風が止み、空気が揺らいだ。
「危ない!」
アズールが振り向くのと金属音がするのはほぼ同時だった。
「…君は…!」
そこにいたのは、あの黒衣の女性だった。
―to be continued




afterward
 ―それは遠き国のアポクリファ。
 書き始めたのはメルフォメネ戦直後、アイディアは更に前に作っていたにもかかわらず、アップがすさまじく遅くなってしまいました。冒頭部が既に賞味期限切れです。せめてサーガ達が復活したっていう連絡が来る前に書き上げたかった…。このSSは見ての通り続き物です。現在第二話を鋭意執筆中。全三話になる予定です。どうか最後までおつきあい下さい。なんとか次回分を早く書き上げますので…。
 とりあえず。
 祝★ジーク初登場!
 …カナン編も、書かなきゃなぁ…。
 それでは、お目汚し失礼しました。

補足
 作中で『セレスト様』と呼んでいるのはジークのことです。エリュシオンの言葉で『聖賢者』を意味する彼に対しての尊称。ジークはかなり高い地位にあるので、彼を本名で呼ぶのはアズールとアキスくらいのものです。
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