それは遠い遠い神々の国。
 差別の元に差別を排除した国。
 彼(か)の国には一対の伝承がある。
 誰が語り始めたともしれぬ伝承。
 ―蒼き翼持つ者の元に光集い、祝福は彼の者と共にあり。
 ―赤き翼持つ者の元に闇集い、災いは彼の者と共にあり。


ボイスレス―創りし者、創られし者(2)



 金属同士が激しくぶつかった音が、にわかに張りつめた空気に尾を引いた。
 アズールとの間に素早く割って入ったアキスの剣と、黒衣の女性の大鎌が交差している。彼女の細腕には不似合いな大鎌の刃は、アズールに向けられていた。
 学神達からひきつり裏返った声が上がる。温室育ちの『敵』を見ることさえなかった神々にとってこの突然の闖入者はとてつもなく恐ろしい、信じられないものだった。
 キィン、と高い音を立てて押し合っていた二つの刃が彼女の方から離された。アキスは小さく舌打ちをする。かろうじて押し切られることはなかったが、彼女の力は自分と互角だった。女の細腕には不釣り合いなその力は、魔力によるものだろう。外からか、中からか。どちらにせよ、エリュシオンの平和を乱すものを討つのが軍神の役目だ。
「悪く思うなよ、本気で行くぜ」
主神より与えられた宝剣に、神聖言語が浮かび上がる。まったく読めない無表情のまま、黒衣の刺客は大鎌を構え直す。
 なぜ。
 アズールは眉根を寄せた。
 アキスの剣と、黒衣の刺客の大鎌が高い音を立てて交差する。力、素早さ、命中精度。黒衣の刺客は何処をとっても強敵だった。アキスの薙いだ刃を、彼女はふわりと跳んでかわす。翼もないのに、その体は自在に宙を動けるようだ。便利なものだ、とアキスは苦々しく思った。
『死んでください』
音のない声がそう静かに告げる。振り下ろした大鎌から衝撃波が発生した。
「!」
避ければ後ろの奴らに当たる。アキスは喰らうことを覚悟して身構えたが、光の壁が衝撃波を遮った。アキスは前を見据えたまま言った。
「さんきゅ、助かったぜ。」
「まったく、無茶する人ですね」
ジークは微笑を浮かべてそう返した。
「良く言えば勇敢、だろ?」
敵を前にしているとは思えない余裕でアキスは笑った。

 水鏡に映った彼らの姿を、忌々しげに男は睨み付けた。
「ジーク…やはり立ちはだかるか。あの二人を同時に相手して、倒せる可能性は低いな」
低く男は呟いた。
「ボイスレスよ。この場は退け。時間もない」

 ふいに黒衣の刺客は刃を下ろした。そして踵を返し走り出す。
「なっ…!?待て!」
アキスは後を追おうとしたが、さっきアズールの前から去ったときと同様に、黒衣の刺客は姿をくらましてしまった。学神達は一様にほっと胸をなで下ろす。
「さすがはアキス殿…見事でございます」
「(何処がだよ、この平和ボケじじいども)」
アキスは呆れてため息を付いた。しかし、一応自分より位が上の神も居るので思ったそのままは言えない。
「安心するのはまだ早いですよ。この場は撤退させましたが、これで終わりとは思えません。こちらにも幸い被害は出ませんでしたが、向こうも無傷です。間違いなく、また奴は現れるでしょう」
アキスの言葉に、一度平静を取り戻した神々がまたざわめき始めた。そろりとその中から抜け出そうとしたアズールを、複数の手が遮った。
「ダメです!」
「危ないです行かないでください!何かあったら一大事です!」
「ていうかあなたに何かあったら私たちのクビが飛ぶ…」
「アキス殿達軍神にまかせましょう!」
…慌てると人に限らず本音が出るものらしい。ともかく、学神達は必死でアズールを取り囲んだ。だいたいただでさえ、アズールのさぼり癖のせいでたまっている仕事が大量にあるのだ。さっきようやく戻ってきたアズールを逃がすわけにはいかない。大きくため息を付いて、アズールはなげやりに言った。
「わかったよ、わかりました。」
ずるずると研究院の方に大人しく連行されながら、アズールがこっそり小さな石の欠片を落としたことに、学神達は気が付かなかった。彼らの足下を金色のネズミが駆け抜けていったことも。
「どう思う?」
低くアキスは囁いた。
「外から、ということはないでしょう。バリアが破られたらすぐにわかります」
「そうだったな」
反逆か、とアキスは呟いた。ジークは凛とした表情で言った。
「頼みますよ、アキス」
「ああ、こっちは任しとけ」
そう言って二人はすれ違った。

 刃のような三日月が、冷たい光を投げかけている。かたん、と小さく音を立てて彼は窓を上げ、外に出た。
「どこ行くんだ?」
「…アキス」
数歩も行かないうちに声を掛けられて、アズールはばつの悪そうな顔をした。
「見なかったこと…には、できないよね」
「当たり前だ、このバカ」
このタイミングで声を掛けられたということは、完全に読まれていたということだろう。そこまでして、はいそうですかと見逃してくれるわけはない。かといって、アズールにアキスを振りきる自信はなかった。
「―気になることがあるんだ」
ぼそりとアズールは呟いた。
「何故あの時は、僕を攻撃しなかったのか。」
草原で会ったあの時。あの時の方がよほど殺しやすかったはずなのに、彼女はあの大鎌を構えもしなかった。確かにな、とアキスは相槌を打つ。
「それともう一つ。」
最後、ほんの少しだけ聞こえた気がした。
「何か、言いたいことがあるみたいだったんだ」
「……」
「アキス、見逃してくれ。どうしても僕は行きたい」
沈黙が降りた。それを破ったのはアキスだった。
「駄目だ」
簡潔にアキスは冷たく言い放った。やはりそれが答えだろうとは思った。アズール自身がターゲットだったのだ。ターゲットの方からのこのこ出ていくなんて、バカにも程がある。そんなことはアズールもわかってはいたが。
「約束だからな。ジークとの」
アズールは悔しそうにうなだれた。アズールの方に歩み寄り、アキスは言った。
「場所はわかったのか?」
「うん」
「なら、さっさと行くぜ」
「…え?」
アズールは唖然として顔を上げた。アキスは笑っていた。
「鳩が豆鉄砲喰らったような顔してんじゃねーよ。何度も言わせるな。行かないのか?」
「え、でもさっき駄目だって…」
「一人で行くのを見逃すわけにはいかないって言ったんだよ。ジークとの約束だからな。…話はちゃんと聞け。ばーか」
アズールはぱぁっと笑みを浮かべた。そして、
「バカって何だよ!普通そう思うだろ?」
勢いよくアキスに突っかかった。にやりと小馬鹿にしたような笑みを浮かべてアキスも言い返す。
「行間を読め行間を。ていうかお前『発想』司るんだろ?そんな普通の考えしかできないんじゃダメなんじゃないか?」
「できるか!…それとこれとは別問題だよ!」
「まったく、さっきの勘違いしたお前の顔笑えたぜ。なんかもう泣きそうで」
「誰がだ!もういい、やっぱり一人で行く!」
「それは駄目だって言ってるだろ。あ、けどそういうこと言うなら気が変わったかも。やっぱりお前居残り決定にしよう。ほら戻った戻った。」
「ごめんなさい、アキス様。」
「…変わり身早いなぁ、お前。」
いつものことながら、とアキスはあきれ顔で相づちをうった。チャージ0.5秒の完璧な愛想笑いを浮かべたままアズールはここでは当然、と返して真面目な表情に戻った。いつまでもふざけている場合ではない。アキスが一緒にいるとはいっても、他の神に気付かれてはまずいのだから。

 アズールとアキスが合流したのとほぼ同刻、ジークは、薄く月光に照らされる塔を見上げていた。かろうじて外形を保ってはいるが、あの事件が大きな傷跡を残している。うち破られたドアから踏み込むと、床でざらりと砂の音がした。
 この塔の主は、異端―否、禁忌の存在だった。
 彼の背に翼はない。幼いうちに根から引き裂かれたのだ。理由はしれず、彼の翼がどんな色だったか知る者はいない。だが、そんな真似をする理由はそう多くない。おそらくは…彼の翼の色は赤だったのだろう。
 彼は学神だったが、ずいぶん前に研究院を去った。そしてこの塔で一人研究をしていた。
 ある日、軍神達が彼を捕らえに来るまでは。
 一番奥の部屋のドアをジークは開けた。ドアが耳障りな軋みを立てる。
『―ノックもしないのが貴方のやり方か、セレスト殿?』
陰気な棘のある声が部屋に響いた。
「お久しぶりですね…ユージィン」

―to be continued




afterward
 なんということでしょう。一話目と二話目の間にものすごい時間が空いてしまいました(TABLETOP掲載時)。皆さん、前回分の話覚えてました?(苦笑)お待たせしてしまって申し訳ありません。
 今回の話の出来にはあまり納得できていません。しばしば説明的な文章になってしまいました。どうもエリュシオンがらみの話を書くと、設定が少々過飽和気味になります。赤い翼と蒼い翼の話とか、もっと別な形で書きたかったなぁ…。
 でも今回は自分でも気に入ってる部分があるんです。それは兄貴全開なアキス。彼のシーンはどれもものすごく楽しんで書けました。現在オリジナルキャラの中では彼が一番お気に入りです。
 さて。次回はついにこのだら長い物語に終止符が打たれます。以前書いていたものが気に入らなかったので全消去してしまい、またしても時間がかかりそうな気配ですが読んで下さる方にとっても私自身にとっても納得のいくものを書き上げたいと思います。
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