天敵出現
〈唐突に失礼だが、シン・ゴンデュールだな?〉
わずかにザルツは眉根を寄せる。
その『声』は聞き慣れないものなのに、隠した名前を知っていた。さらにその『声』は、耳ではなく直接頭に響く、精神感応、ありふれた言葉で言えばテレパシーだ。異能者揃いのこの町でも、精神感応能力者は珍しい。
要するに、警戒すべき相手だということだ。
ここは泉の店、いつもの面子も揃っていた。
ことを荒立てられれば充分対応できるが…まずは、その名前を知っていることが気になる。
表情を即座に普段の調子に戻し、ふとした様を装って店内に視線を泳がせる。
『声』の主はすぐに見つかった。
目立つわけではない、物静かに一人盃を傾ける、ダークグレーの髪の男。むしろ、目立たなさすぎるのだ。注意していなければ、真後ろに立っていても気づかないだろう。普段から気配を隠すことに長けている人物の所作だった。戦場ならともかく、明るい居酒屋だと少々浮く。
彼で正しいことは、目があってすぐに軽く手を挙げて合図をしたことで証明された。
仲間の輪を抜け、ザルツはその男の席へと足を向けた。
「こんばんは。初めまして、でしたよね」
それは確認というより念押しだった。ザルツは記憶力には自信があったが、その男の顔にも、かすかに感じる魔力の波長にもまったく覚えがなかった。
「犬を眷属にしているそうだな」
脈絡なく男は切り出した。
「…ええ、まぁ」
それは仲間内では周知の事実だ。サーガタナスを従える…というより半分取り込むような形にして以来、ザルツはサーガタナスの力の一部を使える。サーガタナス自身が不完全召喚の後遺症を引きずって未だ本調子ではないため、伝承の悪魔の力通りとはいかないが、精神干渉、操作の力は存在していた。ザルツ自身への負担もあるため、人よりは格段に扱いやすい野犬を何匹か使い魔にして、偵察をさせてみたり伝言をさせてみたり、半ば遊ぶように使っている…というのが表向き。要所要所の様子を常に伺わせ、潜ませ、情報収集、周辺警戒の手駒として実用している。
「最近、この界隈で野犬に襲われることが多いのでな。何匹か殺してしまったが、そちらの眷属が居たらこの場で謝ろう」
「ああ、それはないですよ。うちのは見境もなく人に噛みつくほど躾が悪くはありません。おそらく本当にただの野犬でしょう」
使い魔といっても操っているだけでただの犬、攻撃力から言っても耐久力から言っても、攻撃用として使ったらすぐに潰されるのが落ちだ。そんな無駄遣いはしない。第一、ぶつけていたとしたらザルツはすでにこの男を知っているはずだった。
黒川市は野犬が多い。保健所が無能なのか、何か他の要素でもあるのか。ヒロあたりが追いかけられているのはもう日常風景だ。彼はある意味好かれているんじゃないかと思う。この男が出くわしたのも多分そういった野犬だろう。運が悪かったとしか言いようがない、野犬の。追い払うより殺す方が手っ取り早くて簡単だったのだろうが、動物愛護主義者には盛大な顰蹙を買いそうな行為ではある。
「そうか」
話はそれだけ、とばかりに男は目線を外す。男の方の用件はそれだけでも、ザルツにとって気になることは確認できていない。言葉を継ぎかけたとき、後ろから声がかかった。
「邪魔だよなー、あれ」
「沖」
悪気なく会話に割り込まれ、むしろ悪気がなかったからこそザルツは軽く苛立つ。空気を読め。…いや、話題からしてそう不自然でもないか。
ともかく、沖のいるところで隠し名の話はしたくない。さっさとあっちの輪に戻ればいいものを、と思いながら仕方なくザルツは相槌を打つ。
「どっちのことかわかりませんが、使い魔は便利ですから」
「俺らには要らないさ、仲間がいるからな。お前と違って」
ぴしり、と場の空気が割れた感じがした。
「失礼ですね、それじゃ私に仲間がいないみたいじゃないですか」
「いないだろ、使い魔ぐらいしか」
皮肉というより、本気でそう思っている口調だ。シディアやロードやアズールや泉の立場は何だというのか。
「まぁ、信頼しているのから互いの隙をうかがってるのまでピンキリですけどね。」
「そういう認識な時点で仲間っつーかむしろ友達いないタイプだよな。人間より使い魔の方が信頼できるとか思ってるクチだろ」
「妄想でそんな可哀想な人と断定しないでください。まぁニックスはそこらの人間より信頼してるかもしれませんし、サーガタナスは重宝してますがね。」
「フォカロルは?」
「犬以下。」
無論この場合の犬とはサーガタナスではなく、使い魔の方。あるいは野犬。
「てめー、どこまで俺を馬鹿にすれば気が済むんだー!」
「あなたの無能に対して等価の待遇でしょう。切れないハサミなんて馬鹿より使いようがない」
「むしろハサミの出来は使い手の問題だろうがあの諺は!」
「今、自分で馬鹿と認めてますよその発言」
「おー、気の毒気の毒。よしよし、いっそこんな奴見限ってうち来るか?」
「108人もぞろぞろ居るのにまだ足りないんですかそっちは。欲しいならあげますけど熨斗つけときます?」
「いいのか〜?数少ない仲間だろうよ」
「私は量より質派です。烏合の衆ならたとえ3桁いたって邪魔なだけですから」
「ほぉ、俺たち丸ごと烏合の衆扱いかい?」
「ていうか俺は物扱いか!?手放すってんならちゃんと契約切って俺を自由にしやがれ!気がついたら契約主従書き換えやがって…おかしいと思ったら…そして熨斗を直書きするなー!」
ちなみに、額に粗品(油性で)。
「喧嘩するなら外行ってください」
業を煮やしたらしく、怒りをあらわにした声で一人の青年が声をかける。
「喧嘩じゃないですよ、ただの口喧嘩ですから」
「誤解すんな。この中で喧嘩するほど俺は馬鹿じゃない」
「俺はむしろ虐められてるって言わないか!?」
「客観的には喧嘩してることに変わりありません。…強制的に黙らされたいですか?」
3人の返答がほぼ同時だったあたりは、仲がよいと言えなくもないが。
しかしここらが潮時…というかいい加減沖と遊びすぎた。ザルツは振り向き、まだ男がそこにいたことに安堵する。
「すみません、放ったらかしにしてしまって」
「…別に気にしてはいない」
むしろ気に留めても居なかった様子で、彼の周りだけは相変わらず静かだった。今日は手は出ていなかったとはいえ、近くであれだけ騒がれて全くペースを乱さないとは。
小さくため息をついて、ザルツは頭を切り換える。
「…それはともかく。はじめに私を本名で呼びましたよね?」
「それが何か?」
「どこで知りました?」
まだ沖が居るので言葉は選ばなければならない。しかしそれだけは確かめておかなければならなかった。顔には薄く笑みを掃いたまま、目で相手を問いつめる。
「『緋炎の使徒』は知っているな?」
それは何度か耳にしたことのある単語だった。レイク・スカイフィールド…これさえも本名ではないらしい、彼の二つ名の一つである。
「レイク…の関係者でしたか。」
しかし、彼が多くを語らないようにザルツもレイクに多くを語ってはいない。干渉しないかわりに干渉させない、それが暗黙の協定のようなもの、のはずだ。
「レイクのことを甘く見ない方が良い。何も知らないようで、その実秘密を握っていたりする」
つまりはレイクが調べ、彼に教えたということか。…確かに甘かったかもしれない、とザルツは苦々しい思いになる。暗黙の協定だなんて信じるのは愚かだった。認めたくはないが、レイクと自分には歴然とした力の差がある。いわば大人と子供の約束のようなものだったかもしれなかった。こちらの反抗はすぐに伝わっても、むこうの不履行はわからないぐらいの。そもそも仲間というのも休戦協定がずるずると延びたに過ぎない始まりだった。勝手に信頼しすぎて、油断したというわけだ。
もっとこちらの手札を厳重に隠す必要があるな、とザルツは今後の方針を頭の中で模索する。
「レイクは自分に関係あることしか調べないんだろう?」
沖がまた横から口を挟む。
「…まぁ、本名ぐらいは情報の基本ですからね」
曖昧に笑いながらごまかすが、本当はそれだけではない。魔術師にとって、北欧の者にとって『本名』はもっと重大な意味を持つ。本名は本質であり、神と契約を交わした名前。本名だけでは大して意味はないが、使いようによっては魂の根本を握られることになる。沖は知らないようだが、この男は知っているだろう。
「そう言えばまだ聞いていませんでしたね。あなたの名は?」
「…ああ、まだだったな。名前はアランだ」
まぁ十中八九本名ではないだろう。それは今確かめようもないが。
「レイクは仲間の裏切りを許す奴ではない。おそらく、この場にいる全員の長所・短所などを知っているだろう。」
ザルツに向けたとも、沖に向けたともわからない言葉だった。牽制ととるには淡々としている。ただ事実なのだろう。それにしても。
「勝手なものですね。裏切りを許さないという一方で、信頼していないなんていうのは。もっとも、はなから信頼されているとも思っていませんけど」
「いや、信頼はしているだろう。だからこそ、『Blue:Cross』を統率できるといってもいいかもしれない。」
「どうでしょうね。レシオや恵美についてはともかく。」
信頼している相手のことを勝手に調べたりはしないだろう。それが疑心、背信でなくてなんだというのか。
知らぬところで探られた。それに気づいていなかった。その両方に対する不快感がつのる。
「(シディアのことも既に知ってるんでしょうか…まぁ遅かれ早かれ、知られることではあるんですが。レイク経由で泉さんに伝わる可能性が出てくるとなると、ちょっと…)」
「…ああ、あいつは他人のプライバシーは守る。裏切らなければの話だが。」
…え?
思ったより深く思考の淵に沈んでいたのか、一瞬虚をつかれる。
違和感。
会話がつながっていない。
いや、奇妙なまでにつながっている。
「!」
推察ではありえない。読まれた。
ザルツは表情をこわばらせる。
感応能力じゃない、干渉能力だ。
精神系の能力にも種類がある。一方的に自分の思念だけを送りつけられるタイプ、双方向で伝えたいことだけを選択的に交わせるタイプ、そして相手の思考を対象が伝えようと思う思わぬに関わらず読み取れるタイプ。
アランは三番目、相手にするには最も厄介なタイプだ。
「まったく、精神干渉能力者と話すのは厄介ですね…」
もはや取り繕うこともないだろう、偽ったところで読まれてしまうならば。あからさまな険呑さをザルツはアランに向けた。
「ならば読まれて困るようなことを考えるな」
「手札を奪い見る不躾さの方が問題です。逆をされたらあなただって嫌でしょうに」
いっそその『逆』をしてやろうか、とザルツは考える。今、己の一部としているサーガタナスも、本来は偵察者であり誘惑者。精神に入り込み、暴く能力を持っている。アランと同じこともできるはずだ。まだ調整段階の能力だから、乱暴な干渉になるかもしれないが、意趣返しとしてならそれも…
サーガタナスの、不可視の手を伸ばす。
触れかけたその一瞬、ぞわりと悪寒が走った。
「どうした?見たいなら、構わんぞ」
アランは見せるつもりでさえいるのだろう。面と向かってさえ稀薄だった気配が、今ははっきりと感じられる。
それは、例えるなら臥した龍のような、圧倒的な存在感。
底知れぬ力で満ちた深淵。
確かに手札ぐらい見られようがかまいはしないだろう。
そんなことはまるで問題にならないぐらいの実力があるのだから。
ぎり、と爪が食い込むぐらいきつく手を握りしめる。
「……いえ。無意味なことをする気はありませんから」
「そうか。」
アランが短く答えた直後、その気配はまた濃密な霧がかかったように曖昧になる。
席を立つアランを、ザルツは無言で見送った。
ふと思い出したように、アランは立ち止まる。
「一つだけ言っておく。あいつの逆鱗には触れるな。」
レイクとBlue:Crossに逆らうな、か?
ザルツは、苦々しくため息をつく。
まぁ、あんなのが居るとわかっていて、下手な関わり方をするのは馬鹿以外の何ものでもない。
だが。自分の取る道が、結果として『彼らに反する』場合は。
…折れる気などない、とは言っても。
厄介な駒が現れてしまったものだ。
店の出入り口に向かうアランに、先ほどの青年が声をかけた。
「あれ?アランさん、帰っちゃうんですか?」
「私の話は終わった。後はお前で問題ないだろう」
「あの空気を俺に投げますか。まったく〜…」
不満げな青年を残し、アランはそのまま店を出た。
とん、と沖は窓側の壁に背をつく。
「索。いるな?」
店の喧噪に紛れるほどの、呟くような声で沖は話しかける。
「聞いたとおりだ。レイクのこと、少し調べてもらえるか。あいつと宋影が当たると非情にまずい」
気配は頷き、そして音もなく離れていった。
やれやれ、一筋縄じゃいかないだろうとは思ってたが。
沖は頭を振って、新しい煙草に火をつけた。
「何か殺伐としてたけど…大丈夫?」
ひょい、と自分のグラスを持ったままアズールはザルツの方に歩み寄る。会話は終始、ざわめきに隠されるほどの密やかさで進んでいたが、ぴりぴりとした空気だけは今なお感じられた。ザルツから。
「あんまり良くはないですね。」
「要は最悪かぁ…何だったのさ?」
「言いたくない」
…これは相当だ。アズールは苦笑いして視線を泳がせる。
すると、こちらに歩いてくる青年が一人。
彼は、にこりと口元で笑って話しかけた。
「こんばんは。俺からも話があるんですけど、聞いてもらえますか?」
>>Blue:Cross
afterwords
第一印象は、とにかく最悪でした。
ザルツとアランが仲悪い、というきっかけになったセッションのことをまだSSにしてなかったので、ログ掘り起こして書き上げてみました。
空気が…空気が痛い…。途中耐えきれずフォカロルで遊んでしまうぐらい(書き下ろし)空気がアレです。書いてる最中はキャラとシンクロしてしまう部分があるので正直きっついです。
アランはザルツにとって最悪のジョーカーです。策は暴かれ、力押しは逆に潰される。そして何より、本音だの秘密だのを暴かれかねない。策士の天敵、というか反則存在です。djブランドはただでさえステータスが鬼なのに…(苦笑)。