暗黒の扉

 ザルツは一人、ある廃倉庫群に佇んでいた。コンテナがいくつも置きっぱなしにされていて、見通しはかなり悪い。そういう条件からここはよく地元の暴力団関係のグループの抗争や取引の部隊になっていて、夜に付近の住民が近づくことはほとんどない。…そもそも用もないのに廃倉庫群に来る一般ピープルなんて滅多と居ないが。
 月は夜空の高みにある。今夜は満月。その光は赤く彩られていて、禍々しい雰囲気を醸し出している。赤い満月は凶兆の印―どこかにそんな民間伝承もある。実際は、折からの強い西風に黄砂が煽られて、プリズムの役割を果たし月明かりを偏光させているだけ―そう言ってしまっては無味乾燥で面白くない。真か偽かはさておくにして最高の舞台効果だろう、とザルツは口元に笑みを刻みながら月を仰ぎ見た。
その視線を戻さないままザルツは僅かに体をずらした。その瞬間、キィンと高い金属音をたてて、コンテナに銃創が刻み込まれた。
「やっとおいでになりましたか―待ちくたびれましたよ。」
こんな良い月だから一晩かけて愛でるのも一興ですが。そう余裕たっぷりに言いながら、ザルツは常にしている黒い手袋をはめ直した。
「たった一人で喧嘩を売る気か?そっちもずいぶんと偉くなったようだな」
「いえ?私はあの組と協力してこそしてますが、別に私はあっちからの回し者じゃありませんよ。あくまで私はフリーです。お得意さまの意向は多少尊重しますがね。」
「良くしゃべる口だな」
「饒舌は長所だと思ってますが?」
「ふん…何処までも減らず口だな。しかしあいにくの所俺達は静かなのが好きなんでね」
複数の銃口が火を噴いた。サイレンサーをつけているらしく銃声はまったくしない。ただその場に突っ立ったままのザルツの前に、不意に大きな黒い影が覆い被さるように現れた。銃弾はすべてその影に止められる。
 それは夜空のような漆黒の翼を持った大きな鳥だった。不思議なことに、銃弾が当たったはずなのにその体にはまったく傷がない。
「良くやりましたね、ニックス」
「ばっ、化け物…」
「失礼な。もうちょっと言いようがあるでしょう?」
甘えるようにすり寄るニックスを撫でながらザルツは言った。
「ギリシャ神話で世界を創造したときに現れたという、闇色の翼をした途方もなく大きな鳥。その名は<夜>を意味し、その翼は天を覆い隠す―そんな由緒ある一族の末裔なんですから。」
自分の理解を超えた出来事に、男たちは少なからず動揺した。
 自分は一体今何を見ているんだ?テレビじゃあるまいし、こんなことが現実にあるわけは―
 男たちを見回してザルツは嘲り笑った。
「自分の物差しで測れない物は存在しないとでも思っているんですか?あなた方が高みに至る道は限りなく遠いようですね」
その時、ザルツの右目―カラーコンタクトを入れているような血のように赤い瞳が急に恐ろしくなり、男たちは後ずさろうとした。しかしその足が―いや、体全体が動かない。
「そうそう、私のお得意さまの一つがですね。」
混乱から恐慌状態に移っていっている男たちを見回しながら平然とザルツは言った。
「―あなた方のことをあまりよく思っていないようです」
その言葉を合図にするように、コンテナの影に潜んでいた『お得意さま』の組員たちが駆けだしてきた。

「6人ですか。上々ですね」
足下に転がっていた銃を握りしめたままの腕を邪魔そうに蹴飛ばしながら、ザルツは捕らえられた男達を見た。丁寧に猿轡まで噛まされてきつく縛られた男は、まだ状況が信じられないようだった。
「すみませんね、全員というわけにはいかなくて。」
「いえ、充分です。複数人を長時間呪縛するのはこっちもキツイですから」
ほとんどの者達は抵抗ができないまま捕らえられ、あるいは殺された。途中から呪縛が解けてしまって(ただの人間なうえ、既に動揺していて付け入る隙が大きかったとはいえ、やはり複数人に邪眼の呪縛を掛け続けるのは無理があった)、一部の者が抵抗したが。
「ああそうそう、これ返しておきますよ。使いませんでしたが」
サイレンサーのついた小銃を取り出し、渡そうとするザルツに彼―この組の若きリーダーは首を振った。
「差し上げますよ。何かに使えないこともないでしょう」
にっこりとこの場に似つかわしくない紳士的な笑みを浮かべて彼は言った。
「これからも共にやっていくことを考えれば、それくらい安い物ですし。」
「なるほど、よく解っていらっしゃる」
リーダーの男は夜空を仰ぎ見た。
「ああ、それにしても良い月ですね、今宵は」
「ええ、まったくです」

 ニックスは、その足に掴んでいた男達をややぞんざいに地面に転がした。
「ご苦労様。もういいですよ―下がっておいてください。」
しかしニックスはその住処である亜空間に戻ろうとはせず、ザルツの傍に降り立って翼を畳んだ。
「戻った方が安全ですよ?」
そうザルツが言ってもニックスは戻る素振りすら見せない。ザルツは苦笑いした。すっとその笑みを消して、ザルツは呪文の詠唱を始めた。
「『我招くは悠久なる時の中に身を置き闇の深淵に封ぜられし者 大いなる魔力の流れよ今ここに集い来たれ 閉ざされし蒼古なる扉を今開かん』」
地面に禍々しさを感じる光で大きな魔法陣が描かれていく。その中心には捕らえられた男達が据えられている。ザルツの詠唱はなおも続く。
「『偉大なる魔術師にして亡王ソロモンの名において封ぜられし72柱の魔王が一人にして第41の侯爵 真名をフォカロル 嵐を呼び風と海を司る力強き者よ 我今汝が力を借りんと欲し―」
にっとその時ザルツは口元に笑みを刻んだ。
「―汝を戒めし亡王の偉大にして聖なる封印を断ち切らん』」
魔法陣の光が強くなる。まるで真紅の炎で描かれているように。
「『大いなる流れに背反し神罰を受けようとも我厭わず 地の戒め水の戒め火の戒め風の戒め 天地に通じ光と闇をもって紡がれし 戒めの桎梏よ滅するがいい 彼の者を解き放て』」
ザルツは激しい魔力の抵抗を感じた。3000年近くの時を経てなお彼の王の封印にはほとんどほころびが存在しない。だから解くのではなく、打ち砕くという乱暴な方法を取ることになった。無論、失敗すれば『神罰』云々以前に跳ね返され行き場を失った魔力のしっぺ返しで確実に命を落とすだろう。普段なら反発をそらすなり相殺するなり対策をとるが、ソロモン王の封印の力となれば、そんな小細工は通用しないだろう。だから潔く、すべての魔力を賭ける。
 ザルツに焦りも気負いもなく、口元には自信と余裕と―成り行きすべてを愉しんでいるかのような、笑みがただ浮かんでいる。
「『真の力を解き放ち給え 彼の者達の血と肉と魂を供物とし 我が呼び声に応えよ』」
その時、魔法陣の中心に据えられていた男達の体が一瞬にして紫色の炎に包まれた。
「『自由を得し魂 猛し侯爵 フォカロルよ!』」
詠唱が終わった瞬間、魔法陣は閃光に包まれた。圧迫感を感じるほどの光の洪水。鈍く右目が痛むのを感じたがザルツは目を逸らさなかった。白転した視界の中、力強い羽ばたきの音がまず聞こえた。徐々に薄らいでいく光の中優雅で威厳に満ちた仕草でそれは降臨した。それはまるで神の降臨のようだった。彼が纏うのは聖なる光ではなく禍々しい瘴気だが。
「封印を解いたのはお前か」
「はい」
ゆっくりと目を開きながらフォカロルは話しかけた。金色の瞳で試すようにフォカロルはザルツを睥睨した。交差する視線。重たい沈黙。それを不意に破ったのはフォカロルの方だった。
「なぜ封印を解いた?使役するだけならソロモンの封印を利用した方が楽だろうに」
「どうせならあなたの本来の力を見てみたかったからですよ。桎梏に捕らわれ人の飼い犬と化した侯爵など興ざめだ―確かに手綱を受け取るだけならもっと簡単ですがね」
「―なかなか言ってくれる」
ザルツは少しも怖じることなくまっすぐにフォカロルを見返していた。相変わらず口元には笑みを浮かべながら。
「守護方陣はどうした?」
召喚士は多くの場合二つの魔法陣を置く。一つは呼び出した者をその場にとどめるための封印に用いる魔法陣、もう一つは自分の周りに張り身を守る魔法陣。魔力をその場にとどめ高める意味もあるが召喚の時の魔法陣は封印と防御の意味合いが強い。足下の地面に描かれていた魔法陣は消し飛んでしまっている。ザルツは魔法陣を純粋にソロモン王の封印と拮抗する魔力を使うためだけに使っていた。
「元から守護方陣は張っていませんよ」
「命が惜しくはないのか?我にとって人間の脆弱な体を切り裂くなど容易いこと…」
フォカロルはすっとザルツの首筋に手をやった。特に触れた様子はなかったのに肌に一筋の赤い線が刻まれつうっと血が流れ落ちた。
「今お前の首を落とすこともできるのだぞ」
「そうしたくばどうぞ」
平然とザルツは返した。
「今更命など惜しくありませんよ」
「そうか…はははははっ!」
フォカロルは豪快に笑った。
「なかなか面白い奴だな。人間にしておくのは惜しいくらいだ」
「お誉めにあずかり光栄ですね」
「気に入った。良いだろう、お前にこの力貸すことにしよう」
ばさりと大きな羽音をたててフォカロルはグリフォンの双翼を動かした。
「それにしても―」
今までの威厳に満ちた態度とは一変して妙に懐っこいノリで笑ってフォカロルは口を開いた。
「あのくそじじいの封印を解いてくれたことは礼を言わないとな。荒れ狂う嵐に鎖をかけて思うままに 操ろうなんて悪趣味にも程がある」
「確かに、後に名を残すほどの功績を残していると言っても傲慢ですね」
「功績?あのくそじじいほとんど何もしてねーよ、ふんぞり返って手下動かしてただけ。動いたのは俺 達だっていうのに、すべて終わった後契約破ってせっまい牢に押し込めて封印なんてしやがるし」
「72柱まとめてでしたっけね。」
「俺はまだ許してねーぞ、くそじじいーっ!!」
かつての主をくそじじいと連呼してフォカロルは叫んだ。
「あ、そうそう。」
ザルツの前にフォカロルは左手を突き出した。じゃらっとそれにひきつれて手の鎖が重たい音を立てる。
「なんか一ヶ所外れてないんだけど。」
「………」
「失敗したな」
「ですね」
「まぁ前と比べりゃ格段にいいけどな」
「…後日、絶対に解いてみせます。」
負けず嫌いで完璧主義、と自分でも言うザルツは力を込めて言った。ソロモン王にライバル心を燃やすのはかなり身の程知らずだが。

「さて」
フォカロルは改めて話しだした。
「契約をしてもらおうか」
「お聞きしましょう」
互いの態度に召喚したときのような真剣さが加わった。
「世の中常にギブアンドテイク…といっても、昔みたいに命を丸ごとよこせなんてことは言わない。うざい封印を解いてもらった恩もあるしな。不完全だけど」
「……」
黙って先を促すザルツに首肯してフォカロルは続けた。
「ただし当然ただ働きをするわけにはいかない。少々贄を捧げてもらおう。」
「仲間ですか?それとも私自身?」
「いや、敵でいい。敵の魔力を俺に差し出せ。できなかったときには―」
すっとフォカロルはザルツを指さした。
「お前自身を贄にしてもらう」
「―いいでしょう」
ザルツは不敵な笑みを返した。
「その代わり俺はこの力を貸そう。風と水を眷属とし嵐を起こし、仇敵を滅ぼす。その力を存分にな」
「頼りにさせていただきますよ」
「―『ここに契約は結ばれた』!」
高らかにフォカロルが宣言するのと同時に、瘴気がザルツの左腕にまとわりついた。ザルツは痺れるような痛みと共に、瘴気が入り込むのを感じた。聞かずとも、これが『贄を差し出さなかった代償』を奪っていくのは解った。
 フォカロルはザルツに手を差し出した。
「長いつきあいになりそうだな」
「そうですね」
ザルツはその手を取り、二人は固く握手を交わした。
――――
暗黒の扉補足…というより語録?

・廃倉庫群
 ザルツが良く『お得意さま』と取引をする場所。矢浜港の傍にも倉庫があるが、そことは別物。黒川市ではない。詳しく説明すると、商談に支障が出そうなので黙秘権発動。

・ニックス
 セッションでもザルツが時々呼んでる使い魔。シディアやアズールと違い、自ら飛ぶことはできないので重宝している。その正体は神話の時代から存在する途方もなく大きな黒い鳳凰。「ニックス」はその中でも有名なギリシャ神話に登場する黒鳳凰の名で、種族名ではない。
 ちなみに、そんな話の割にニックスは人を背に3人も乗せれば定員オーバーするぐらいの大きさで、これは黒鳳凰は成長がすさまじく遅いため。
 魔力の塊のようなものなので、物理攻撃を受けてもたいしてダメージを受けない。

・ヴァンパイアの邪眼
 マリオネットは単体に有効な技なのにざっと10人くらいに掛けてます。相手が一般ピープル(しかもこういったことにあまり免疫がない)で、なおかつ満月の夜だから、ということにでもしておいてください。シディアが条件を満たさずに覚醒しているのと同じで、ストーリーイベントなら多少の条件違反は大目に見てください。

・リーダーの男
 彼は一般人。のはずです。ただ、ザルツのことは良く知っていて、一番のお得意さまなので今後もどこかでこっそり出てくるかも。

・悪魔召喚の呪文詠唱
 オリジナル且つでまかせだったりします(苦笑)資料ないし。古文風になっていますが、古典苦手なんで所々間違っていると思われます。気取って微妙に難解な語句を使ってますが、読み飛ばしてもたいして問題ありません。ちなみに、『桎梏』は「しっこく」と読みます。

・フォカロル
 ソロモンの72柱の魔王の一柱。魔王といってますが、彼の場合は侯爵であって王ではないです。

 力強き侯爵で30の悪霊軍団を支配下に置く。風と海を操る力を持ち、人を水に引きずり込んで溺れさせたり、軍艦を沈没させたりすることができる。しかし、術者が強く望んだときでなければその力を使うことはない。グリフォンの双翼を持った人の姿で現れる。
 (『魔導書ソロモン王の鍵』参照)

 いまひとつ忠誠心が薄く、良く言えば親しみやすい性格をしている。爪は鋭利な刃物のように鋭く、人間の首くらいなら軽く落とせる。嵐を起こす能力がある。瞳は金色。背中に一対の翼がある。
 左手にザルツが解き損なった封印の象徴である鎖付きの手錠が嵌められている。

・ソロモンの72柱の魔王
 堕天使や各地のもともとの有力な神が悪魔に落ちたもので、ソロモン王はこれらの悪魔を封印し、数々の奇跡を起こしたという。現在はC世界在住?

・ソロモン王
 フォカロル曰く『くそじじい』。きっとそんな人じゃないはずです。たぶん。
 古代イスラエル王国の王。在位BC961〜922年。とにかく偉い人。

・守護方陣
 この呼び方は勝手に付けましたが、悪魔召喚の手法はたいていのバージョンで共通している部分を参考にしています。


 えーと、こんな所でしょうか?他にも『これ何?』とか『ここ変』というところがあったらBBSでお願いします。
 このときはとてもかっこよかったフォカロル。しかし、彼の地位はこの後、とある理由で低下の一途をたどり…。頑張れ、頑張れファンブル大王。何でかなぁ、ザルツとステータスは同じなのに。ザルツは割とクリティカル王なのに。やはりダイス神の寵愛の差?
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