カタルシス

 戦闘の終わった矢浜港で、ザナクはいつものキツイ煙草の紫煙をくゆらせた。それを見てサラはほんの少しだけその形のいい眉を寄せた。
「…傷に響くよ?」
「ほっとけ。」
 今日やってきたのは泉を狙ってやってきたハンター、通称『スキュラ』のティティス。全員無事に…とはいかず、数人負傷者が出た。ティティスは最期の力を振り絞って大きな威力の自爆技、スカーレットニードル・デッドエンドクライマックスを放ち、それをまともに喰らった泉とシディアは瀕死の重傷を受けることになった。しかし、シディアはいつも身につけていた虹真珠(サクリファイスティア)の力で命をつなぎ止め、泉もセラフィムリングの力とリナのエアロヒーリングで傷を治した。戦いを繰り返す彼らにとって怪我をすることはそこまで珍しいことでもないとはいえ、さすがにあの最後の技のダメージは少々きつかった。
「ふう…」
痛みもなんとか収まったらしく泉は小さくため息をついて胸の傷跡から手を放し、シディアに目をやった。
「そうだ、シディアさん。ちょっとお話が…。」
「?」
なにか考え事をしていたらしく、ワンテンポ遅れてシディアは振り向いた。
「何?」
「あのですね、いまどこに住んでいるんですか?」
アズールは、以前のザナクとのこともあるのでちょっと成り行きを危ぶみながら二人のやりとりに耳を向けた。話を気にするのは、アズールもシディアの大きな心の傷になっているカナン壊滅の一件の関係者だからでもある。
「何処に…って、…冥界だけど。何で?」
「いや、冥界ってシディアそれ広すぎ。」
ザルツはすかさずツッコミを入れた。彼も話の展開が気になるらしいが、その真意はしれない。心配をしているのか、それとも単なる野次馬意識なのか。
 その時、少し離れたところでサラは深刻な表情で一人つぶやいていた。
「ザナクラウス…やっぱりあのことが原因なんだね…アニキ…アタイには何ができる…?『過去にとらわれてはいけない』って言ってるけど、心の中ではいつもそのことで悩んでいるし…」
 それに気付いているのかいないのか、泉はいつもの人好きのする笑みでシディアに話しかけた。
「えっとですね、うちで働きませんか? まあキティさんの時だけでもいいですけど。」
「!?」
ザナクは泉の予想だにしてなかった発言に思わず煙草を吐き出してしまった。その拍子に煙を少し吸ったらしく、げほげほと咳き込んでいる。
「…え?」
シディアも、自分が復讐を考えていること辺りでなにか言われるのだろうと少々警戒していたのだが、あまりに突飛な泉の言葉に間の抜けた返事を返してしまった。
「(シディアが居酒屋の手伝い?)」
想像がつかない、とどこかずれたことをザルツは考えていた。表情にはあまり出ていないが、予想外の展開に少なからず驚いているらしく、ティティスの核を落としてしまっている。
「うちも結構繁盛してますからね、一人でやってくのは割と大変なんですよ。」
皆が驚きを隠せない中、泉はにこにこと笑ったまま言った。始めにいつものペースを取り戻したのはアズールだった。
「なんか面白そうな話だねぇ。どうする?シディア」
「……(何を考えて居るんだろう?)」
シディアはかすかに眉根を寄せて泉の突飛な提案の裏を探った。再び警戒し始めている。そんなシディアの態度を気にする様子もなく泉は続けた。
「それに、うちの店、女性のお客さんが多いんですよ。まあそれはそれでいいんですけど、あまり食べてくれないから、長く居座られる割に儲けがすくないわけですね。
ちなみに、女性客が多いのは泉のせいだ。29歳なのだがどう見ても20代前半にしか見えない、さわやかな顔の良い青年が店主をしているとなれば当然女性人気が出るだろう。人気があるのは良いことだが、確かにそういう側面はある。
「じゃあ今度団体でもつれてきましょうか?知り合いの。」
ザルツの知り合い、というと大多数が裏社会の人物…そんなんの団体連れてきたら一般客が減るぞ。
「で、やっぱり可愛い女の子の一人でもいてくれれば。男の人も増える…と。」
「…それは言えてるかも。」
生返事に近い状態でサラはとりあえず相槌をうった。
「ああ、マスコットにするわけかぁ。確かに、キティなら人気でるかもねぇ。シディアも。」
ぽん、と手を叩いて納得しているアズール。彼も泉に負けず劣らずマイペースだ。
「あ、でも店で魔法は不可だからね?」
「やったら弁償物だからな。」
不機嫌そうに眉根を寄せて、シディアがなにか言おうとしたその時、泉が再び口を開いた。
「まあこっちの事情はそんなところですが、シディアさん…最近なんか厳しい顔ばっかりしてますから…その…そういうわけで。」
泉の言葉に、再びシディアは沈黙した。
「接客とか二人とも苦手そうですけど…」
軽く腕組みをしながらザルツはつぶやいた。
「 あ…そうだった。」
確かに、どう考えても二人とも接客業にはあまり適性がなさそうだ。片や臆病で弱気、片や極端に冷淡。
「不特定多数に愛想を振りまくのは苦手なんだけど…」
ザルツとザナクの後に続いてシディアも泉に言った。
「…それに、こちらも色々あるし。」
そう言ったときふっとシディアの表情が冷たくなった。
「…言っとくけど、シディア。封印を弱くする気はないよ?意味もなく封印を強くしているわけじゃ無いんだから。」
その表情の変化にめざとく気付いたアズールはややきつい口調でシディアに言った。軽くアズールを睨みつけ、シディアはふいと視線をそらした。まったく聞く耳を持つ気はないらしい。
「それは知ってますよ。でもま、むしろシディアさんの場合はそういうあっさりしてるほうが魅力的というか…」
険悪な雰囲気になってきている二人のやりとりもなんのその、泉はあくまで彼のペースで言葉を返した。
「……」
目をそらしたままシディアは黙りこくった。
 どうも今日のシディアはやりとりにいつものキレがないな、とザルツは思っていた。泉さんがマイペースに話を進めているためか、それとも他になにかあるのか…。
ザナクは口を挟もうとしない。下手に口を出して話がこじれないように気を遣っているのだろう。
 泉なら、シディアをなんとかできるかもしれない。
 そうは思うものの、泉もシディアもお互いに何も言わない。気まずい沈黙が続く。しばらくしてようやく泉は口を開いた。
「ま、無理に働けとは言いませんけどね。どうせ住む所もないんでしょう?部屋なら余ってますよ。」
話が長引きそうだったのでザルツは口を挟んだ。
「とりあえず、場所を移すのはどうです?立ち話もなんですし。」
「それも…そうだな。足が疲れる。」
「そうですね、じゃあ店の方へ。」
サラとザナクは行きに乗ってきたバイクに乗った。
「あ、そうそうそれで思い出した。前から話してた神酒(ネクタル)一本持ってきてみたんだけど飲む?この間のブルーハワイのお返し。」
アズールも楽しげに話しかけた。(※前回セッションで泉がブルーハワイを飲ませ逃げした一件より。しかしせっかくの泉の遊び心も上戸ばかり集まっていたあのメンバーではあまり意味がなかったが)
「ま、それは店で話そうぜ。」
「…別に住むところが無くて放浪しているわけじゃないんだけど…」
宿無し扱いされてしまったシディアはぼそっとつぶやいたが、泉の店に行くことで盛り上がっている面々はまったく気付いていないようだった。
「…まぁ、話は店でいいか…」
小さくシディアはため息をついた。
「ところで乗ってくひとは?」
「こっちも空いてるよ。」
ザナクとサラのバイクにはもう一人ずつ人が乗れるくらいのスペースがあった。
 泉は、さっきザルツが思わず落としてしまったティティスの核をさりげなく拾い上げて、出しっぱなしのマジックウィングで夜空へ舞い上がった。
「…人に見られたらまずいような…」
「俺もそう思う…」
「気にしない気にしない。」
上空から泉は呆れ半分で見上げるサラとザナクに手を振った。その時ポケットにティティスの核を入れていたが、誰も気付かない。
「ニックスー。」
ザルツが呼びかけると、上空から夜闇に溶け込んでしまいそうな漆黒の羽を羽ばたかせて、もはやおなじみのザルツの使い魔、ニックスが舞い降りた。だんだん召喚がいいかげんになっていっている。
「ザルツのは黒鳳凰だっけ。僕も白竜持ってるんだけど…さすがに目立つかな、夜だっていっても。」
「あ、それなら乗ってく?」
アズールの方に振り向いてサラはバイクの後ろをぽんと叩いた。
「いや、いいよ。」
笑ってアズールは背伸びするように黄金色の羽を伸ばした。
「お前の場合、その髪と服の時点で充分目立つしな。羽もだけど」
「目立ち加減はあなたも同じような物でしょう、シディア」
「逆にお前は目立たないな。」
アズールの青い髪やシディアの銀髪、ファンタジー色の強い二人の服装は確かに目立つ。白衣を羽織っているザルツもあまり一般的な格好とは言えないが二人と比べれば充分地味だろう。黒がベースの色だし。
「ま、どうせ見た人の方が自分の目を疑うくらいでしょう。」
ザルツはニックスの背に乗り、泉に続いて夜空に舞い上がった。シディアは少し考えてから、上空のニックスにセレナイトウィングで降り立った。
「…こちらの方が目立たないし楽だからな」
「じゃ、僕も行こうか。後でね、ザナク、サラ」
軽やかにアズールは地を蹴り、金の翼で舞い上がった。

 泉は「準備中」の札のかかった戸を開けた。
「さて。ではさっきの話の続きといきましょうか。」
そういいながら泉は店の中に入った。 店の前にバイクを止め、泉の後に続いてザナクとサラも店についた。程なくしてアズール、ザルツ、そしてシディアも到着する。屋内だと少々邪魔なので店の戸をくぐるときにアズールは羽を畳み、消しておいた。泉、アズールに続いて店に入ったザナクはふいに表情を変えた。
「うっ!?」
苦しげにザナクは床に膝をついた。
「ザナク?」
「あ…もしや…」
アズールと泉は振り向き、心配そうに呼びかけた。
「傷か…それともひょっとして」
「やっぱりDS?」
「……これは…まさか……」
事情を知っているサラはなお心配そうだ。
「……」
ザナクは目を閉じて俯いている。それをシディアはどこか冷静に見ていた。
「(…キティならきっとかなりうろたえるだろうな。キティはお人好しだから)」
しばらくしてザナクはよろよろと立ち上がった。相当息が荒い、一瞬でかなりの体力を使ったのだろう。
「また…なのか…?」
ザナクは苦しそうに一人つぶやいた。
「大丈夫?」
「ああ…何とかな…」
「DSじゃないですね…。」
アズールはふっと真顔になった。
「(そのうち僕も他人事じゃなくなるか。僕の『アズラエル』はとりあえずまだ封じられているみたいだけど…いつ表に出てきてもおかしくはない。もう封印した人物は居ないんだ)」
アズールは軽く頭を押さえた。
「(というか、塚本さんとのやりとりで出てきかけてたしなぁ。気を付けないと)」
「まさか…『カオス』が……」
サラはザナクを見つめながら硬い声でつぶやいた。しかしごく小さなつぶやきだったので皆気付かなかったようだ。
 泉は今日はカウンターの客側に座って口を開いた。
「さて、で、シディアさん。さっきの話の続きです。」
ザルツは軽く腕組みをして、シディアの方に視線をやった。
「(さっきは突然言われた動揺があったけど、どうでますかね…)」
ザナクはよろよろとしながらも座り、サラもその隣に座った。
「とりあえず、この場合のメリット。店が繁盛する、私の負担が減る、シディアさん畳に布団で寝れる、お客さん喜ぶ。」
冗談でも言っているような口調で泉は話し始めた。その表情のそこに、ふいに真剣な色がよぎった。
「そして…復讐を達成できても出来なくても、生きがいができる。」
「…生きがい…か。」
ザナクは複雑な表情でつぶやいた。
「その言葉もなつかしいな…」
その目に宿る光が微妙に変化していた。どうやら、精神だけDSと入れ替わったようだ。
「あ、念のため言っておきますが、このことはザルツさんやアズールさんから聞いたわけではありませんよ。」
シディアは無表情のまま何も言おうとしない。
「そう、そういえばあの場に泉さんいませんでしたし。いつのまに知ったんですか?さっきの会話から?」
ザルツのもっともな問いかけに、泉はシディアをまっすぐ見たままで応えた。
「大体表情を見ればわかります。なるべく冷静にしてても…」
「顔には知らず知らずの内に出ている、ってわけだな。」
「(なかなか泉さんもやるなぁ。さて、どうでるかな?シディア。)」
泉とシディアに交互に目をやりながらアズールは心中でつぶやいた。
「それに…あなたが復讐に命を賭け…目的のためには…または、目的を達したら死んでもいいというようなことを考えているということも…」
「……」
シディアは沈黙した。しかし、いつもの無表情ではなく、動揺が表れてしまっている。どちらかといえば言葉に詰まっているという感じだ。シディアは小さくため息をついて目を伏せた。
「…すべてお見通しといったところか。」
「それでは・・・キティさんはどうするんです?」
「…キティが何故現れたのかはわからない。ひょっとしたらイリスの影響が出ていたのかもしれない…キティはイリスに似ている。」
あの一件の直後に自分の中に存在するようになったキティ。あまりにもできすぎたタイミングだからイリスとの関連を考えたこともあった。しかし似ているだけだ。
「確かに、キティとはいつも意見が割れている。…だが」
決めるのは私だ、とシディアは心の中で続けた。そう、誰にも止められるつもりはない。冷たいアイスブルーの瞳に攻撃的な光が宿っていた。
「不思議なものだな…」
誰に言うともなくDSザナクはつぶやいた。
「なぜ、彼女やこいつは『大切なもののためなら命を投げ出してもいい』というのができるのか…オレには解らない事か…」
「あ、いつのまにかDSになってたんですね。」
「でも、アンタだって人間だろう?」
サラはDSに話しかけた。
「…何故そう言い切れる?」
「だって…仲間を嘲笑うような敵に対しては、アンタは鬼神と化す。 仲間を思う気持ち、怒り、そういう感情があれば立派な人間だよ。」
「……」
二人のやりとりを聞きながらシディアはつぶやいた。
「私も昔…本当に昔はお前に近かった。」
その表情はさっき泉に言い返した時の態度とはうってかわって…相変わらず変化は少ないが、心ここにあらずといった雰囲気の、弱々しささえ感じさせる物だった。
「大切なものなんて何もなかった。人も、物も、自分自身も。ある意味、あの時は何もなかった。…しかし一度大切だと思える物ができてしまえば、それは変えられない。早々簡単に手放せない。」
それはDSに話しているというより独白だった。
「…なるほどな。そういう感情を忘れてたぜ。…ありがとう。お前とこいつの考えてることが解ってきたような気がした。オレに何ができるかはわからない。 だが、誰かが助けを求めてるなら…オレは協力を惜しまない。」
DSは薄く苦笑いに近い笑みを浮かべ、彼にしては優しい調子で言った。
「…オレはもう消えるぜ。こいつの体が滅んだらまずいからな。」
その言葉と共にDSは目を伏せ、それと同時に彼の纏っている気配が変わった。どうやら、その言葉通り本来のザナクに交代したようだ。
「…もしも」
シディアはゆっくりと自らの腕を抱いた。
「ジークに会わなかったら、イリスに会わなかったら、カナンにいなかったら…あのまま、何かを大切に思うこともなく生きていたなら、こんなには苦しまないですんだのかもしれないと思ったこともある。何も思わなければ傷つくこともない。喪失の苦しみを味わうことも…」
「シディア…」
アズールはなにか言おうとしたが言葉に詰まった。シディアの精神はとても脆い。『復讐に生きる』というのは心に相当な負荷をかけるのだ。負荷をかけることによって、かろうじてバランスを保っている。ほんの少しのことで崩れさる、危ういバランスを。…どんな言葉なら、彼女を助けられるのだろう?
 足を組み直し、ふっと笑みをザルツは口元に浮かべた。
「…それがあなたの望みだったんですか?何も望まないことで何も失わず、ただいつか朽ち果てるまで永遠に近い時を『生きて』だけいくことが。…それは違うでしょう。」
「ザルツ!」
アズールは驚いて思わず声を上げた。ザルツもシディアの不安定さを知っているはず。その言い方は今のシディアにはきついなんて、いくらなんでも。
「……」
サラとザナクはそっと店を出た。どうやら気を遣ったらしい。泉は彼らに目で礼をし、真剣な面差しで再び三人に目を向けた。
 ザルツはアズールに目をやりもせずに続けた。
「アズールなら言わないでしょうね、確かに。私は第三者ですから、どうとでもいえる。客観的にね。酷だと思うなら思いなさい、私はもともとそういう人間ですし。」
そう話すザルツはこの場に似つかわしくない、いつもとまったく変わらない悪意にさえ感じられる皮肉に満ちた態度をとっていた。泉は眉根を寄せながら口を開いた。
「ええ…酷ですね…しかし、その意見は間違っていない…」
硬い表情をしているシディアに、ザルツは更に続けた。
「シディア、あなたは復讐にかこつけて逃げているだけでしょう。再び何かを失うくらいなら、いっそもう何も持つまいと。…あなたはそれを大切に思っているのを通り越して依存しているだけですよ。」
「!」
かっと顔に血を上らせてシディアはザルツを睨み付けた。
「ザルツ!」
思わず席を立ったアズールを泉は手で制止した。
「いや…シディアさん、私からも聞きたい。今のザルツさんの問い…間違っていますか?それとも正しいのですか?」
シディアは泉の問いには答えなかった。眉根をよせて、ザルツは更にきつい調子で続けた。すでに、いつもの皮肉めいた笑みなど浮かべていない。
「復讐に逃げているだけですよ。そして、復讐で相打ちすればそれでいい、成功すれば後を追い、返り討ちにされてもいいと心の底では思っている!」
「―うるさいっ!なにが…なにがわかる!」
シディアは声を荒げた。叫びに近いその声は殺気に近い物を帯びていたが、ザルツはまったく怖じる様子もなく、淡々と切り返した。
「ええ、わかりませんよ。私はあなたではありませんし、ましてその場にも居ない。大切なものを失ったことすらない。だからこそ言っているんですよ。あなたを見ることができるから。あなたは復讐に目的を見いだしているだけだ。喪失に押し潰されないために…」
「…!」
シディアは言葉に詰まり、手を血が出そうなくらいきつく握りしめた。かたんと軽く音を立ててザルツは席を立った。
「…前のように私を攻撃でもしますか?少々泉さんの店にも被害が及びますが。」
その挑発に乗るようにシディアはザルツの目の前に手をかざした。グラビティプレスを使うまでもない。レイスプラッシュで充分すぎるくらいだ。そう、いとも簡単にこいつは―殺せる。にらみ合ったまま無言の二人だったがザルツの方から口を開いた。
「できるものならやってみるがいい。今のあなたには復讐はおろか私を殺すことさえできませんよ。」
痛いほどの沈黙がその場を包んだ。ザルツはただまっすぐにシディアを睨み返している。一切の迷いも怖れもなく。しばらくしてシディアは腕を降ろし、目をそらした。
「…かけがえがない大切な存在を、唯一信じていた存在を失ったらどう思う?それでもずるずると、痛みを抱えたまま生きられると思うか。この長い時間を。」
精霊であるシディアは『時間の経過』で死ぬことはまずない。それは永遠に近い残生だ。苦しみながら終わりの見えない人生を生き続けるのは拷問にも等しいだろう。
「……」
辛そうな表情。弱々しい口調。普段のシディアとは似ても似つかない態度だった。しかし、そちらが彼女の本心の現れなのだろう。
「…ビィグ・ディラシュ・カリュマセ…」
ふいにつぶやいた泉の方にシディアは振り向いた。
「何語か忘れましたけど、「折れない勇気」のおまじないです。」
泉は優しい笑みを浮かべた。
「シディアさん、潰されるな…」
ふとその時シディアは、今まで何故泉にだけはきつく当たり辛かったのかに気付いた。泉は似ているのだ。容姿ではなくその雰囲気が、時々…ジークに。
「先輩としてのアドバイスです。かけがえの無い存在を失い、痛みを抱えたまま生き、それを克服した私からの…」
「ねぇ、シディア。僕が言うのもなんだけど…ただ一つ言わせて欲しい。」
彼もまた辛そうな表情をしながら、ためらいがちにアズールは切り出した。
「それでシディアは苦しみから解放されても、それをジークやイリスは望むだろうか?復讐の果てに死ぬことを。」
「…いや」
ゆるくかぶりを振って、ほんの少しシディアは俯いた。
「絶対に違うだろうな。…とても前向きで優しい人だったから…」
伏せたその目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。シディアは静かに話し始めた。
「…私は確かにどこかで死を望んでいた。ジークやイリスもいないのに生きていても意味がないと。でもその前に奴だけは殺さないといけないと。…未だに辛いんだ。なんでもなかったはずの孤独が。生きているということまでも…」
再び椅子に座ってザルツは口を開いた。
「悲しむことも辛いと思うことも悪いことではないでしょう?…ようやく本音を言う気になりましたね。」
「その通り。悲しむことも、辛いと思うことも悪いことではありません。しかし、人を悲しませ、辛いと思わせるのは悪いことですよ。」
諭すような優しい調子で泉も続けた。そんな泉を横目で見ながら、ザルツは口元に薄く笑みを浮かべた。
「そうですね、やはりとりあえずそれに捕らわれて道を見失うのはどうかと思いますよ。他人のことを気に掛けるお人好しも多いことですしね。それに、シディア。あなたはとっくに孤独ではないでしょう。あなたがそう思っているだけで。 あなたの方から背を向けていただけです。」
相変わらず皮肉めいているが、その語調は普段とはまるで違った。
「あなたが復讐に目を光らせていれば周りの人は辛いですし、あなたが死んでしまえば私達は悲しみます。わかってますよね?」
「…そう、だな。」
シディアはゆっくりと涙を拭った。
 アズールは大きくため息をついた。
「やれやれ、えらい荒療治に出たものだねぇ、ザルツ。」
「だって私が言い出さなきゃ誰も言いませんし。」
ザルツは平然と言って、にやっとさっきとは別種の笑みを浮かべた。
「私は善人ではありませんからね。真実に押し潰されるならそれまで、そう思ってましたから。」
「その一言のせいで印象をより一層悪くしているんだろうが、お前の場合。」
呆れ混じりにシディアも口を挟んだ。二人に目をやり、ザルツはほんの少し肩をすくめた。反省の色はあまりない。
「さて、そこで再び元の話へ。どうです?うちに住む気になりましたか?」
シディアはその言葉に再び泉に目をやった。
「…そろそろ、また歩いてみるのも良いかもしれないな。」
かなり動揺しただけに、少々気まずげにシディアは口を開いた。
「しばらくよろしく頼む。それとその…すまなかった。」
「一件落着、ですね。」
「いえいえ、こちらこそ突然なお願いですいません。」
アズールはふっと安堵の笑みを浮かべた。
「じゃ、もう寝たほうが良いですかね。ザルツさんとアズールさんも、今日は泊まって行きますか?」
「いえ、私はラボに戻りますよ。だいたい、私の場合基本は夜型ですし。」
ザルツは軽く手を振りながら言った。夜型と言うよりザルツの生活は不規則だが…どちらかといえば夜型か。
「あ、そうそう。シディア、こっちの荷物はどうします?大多数資料ですけど。」
「えっと、とりあえずそっちであずかっといて。あれを全部ここに持ってくるわけにはいかないし」
「僕はどうしようかな。とりあえず、これを開けようか?」
そういってアズールはワインボトルをカウンターに置いた。中身はただのワインではなく神酒だが。ちなみに、神酒は赤ワインによく似ている。ただし、アルコール度数は神酒の方が上だ。
「あ、そうですね。1杯やってから寝ましょうか。」
泉はワイングラスを出そうとしたが、それをアズールは遮った。
「はい、何もないところからワイングラスが4つ〜。」
にっと笑みを浮かべてアズールはどこからともなくワイングラスを取り出しカウンターに並べた。
「手品…?」
そしてアズールはどこから出したのかわからないワインオープナーで蓋を開けた。神酒のボトルといい、どこに隠し持ってるんだろうか?
 談笑する3人を見ながらシディアは小さくつぶやいた。
「この件については、ありがとうと言うところだな…」
シディアは微笑を浮かべた。しかし、すぐにまた無表情になる。シディアの表情の変化を見逃さず、ザルツは笑みを浮かべた。
「…さて、開けますか。」


after wards
 今回は初めて自分でHTML文書にしてみました。いかがでしょう?
 やっぱりセッションをSSにするのは難しかったです。『○○はこんなキャラじゃない』という苦情は…一応受け付けますが手加減してください。
 それでは、読んでいただいてありがとうございました。

カタルシス〔ギリシャ語・katharsis〕
1.(文学)浄化。アリストテレス(前384〜322)が『詩学』で用いた語で、悲劇の主観的効果として、人の心に鬱積している恐怖と同情とを解放することによって、人の心が浄化されること。
2.(心理学)抑圧心理の解放。自己の苦悩を語り、その原因となった事実に直面することによって、抑圧した心理を解消すること。
(現代カタカナ用語辞典より抜粋)

 ダイスチャットのログを元に書き起こしました。基本的に台詞だけで構成されるセッションログを小説の形にするのは難しかったです;
 この辺から人間関係が作者も予期せぬ方向に転がり始めたんですよね〜。

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