紫電のオーブ

 複雑な呪文の詠唱と共に、磨き上げられた水晶の床に魔法陣が描かれていく。しかしふいに、魔法陣ははじけるように消えた。あたりには魔力の欠片がまるで蛍のような小さな光となって漂い、それもすぐにすうっと消えた。
「……」
がくっと大仰にアズールは肩を落とした。
「何でこう失敗が立て込むんだ…?」
ため息をついてアズールは儀式室の床に座り込んだ。
 ここはアズールの自宅の一室。いつもアズールがアイテムを作ったりするときなどに使っている部屋だ。壁、床、天井に敷き詰められた水晶が淡い光を放っている。ただの水晶ではない。それだけで大きな魔力を持っている―アズールが長年ここを使っているため、アズールの魔力によって更に強化されて、魔力を練るのに適しているのはもちろんのこと、今では少々の魔法を受けてもびくともしない一種のシェルターのようになっている。
 もともとフォルティに頼まれたのだし(彼は忘れているようだが…)、通信口突破のためにもそれなりのアイテムを作らないといけない。突破には少なくとももう一つアイテムが必要だし、ザルツが掲示板に書き込んでいたように、セラフィムリングは突破で消滅させてしまうにはあまりに惜しいアイテムだ。だから、急いで、強力なアイテムを…。しかし、ここ数日アズールはらしくもなく失敗を連発していた。
「…ダメだな、こんなんじゃ。」
アズールは髪をかきあげ、自嘲の笑みを浮かべた。戦闘はともかく、こちらは本職だと自負しているのに情けないことこの上ない。実際、近年アイテムの精製関係で失敗したことはほとんどなかった。今アズールがやっていたのは魔力の結晶化。いつもアズールがアイテムを作るときの最初の手順で、…要は、これが成功しなければまったく進まない。アズールは冷たい儀式室の床の上に座り込んだ。
 『何故か』は考えるまでもない…集中できていないからだ。こういったことにおいては特に集中力が問われる。
 しかし、集中力を欠いている原因が『気負い』だということにアズールは気付いているのだろうか。…いや、十中八九気付いていない(反語)。
 その時背後にかすかな気配を感じてアズールは振り向いた。そこには漆黒のローブを纏った女性が苦笑いして心配そうに佇んでいる。
『あの…』
直接頭の中に言葉を響かせて彼女はおずおずと口を開いた。彼女は『声』を持たない。いや、持てない。一番最初にそう作られてしまったためだ。
『…あまり根を詰めない方がいいですよ。いつも自分でもおっしゃっているじゃないですか』
「―ああ、そうだね。すまない、シンシア」
軽く目を伏せて、アズールは立ち上がった。
「よし、決めた。」

「…何だ?」
遠出用の乗り物にしている白竜の背の上から、アズールは思わずつぶやいた。
 ここはとある浮島のような場所。他の大地からは離れていて、ほぼ全体を深い森が覆っている。限られた者しか入ることのできない『箱庭』認定の聖地の一つで生えている木はすべて神木オーク。雷電の象徴でもある。常に薄いバリアに囲まれて清浄な空気に包まれているはずの森に、真っ白な霧がかかっていた。
「バリアに裂け目が…ここから入られたか」
アズールは内側からその裂け目を閉ざした。ここに掛けられているバリアは簡易的なもので、直すのは比較的簡単だ。逆をいえばほころびやすいとも言える。
「大丈夫かなぁ…仮にも雷神、みすみすやられはしないだろうけど」
不安を持ちながらもアズールは白竜の背から飛び降りた。思っていたより霧は深く、見通しがほとんど利かない。
 その時目の前に人影が現れた。反射的にアズールは身構え、しかし次の瞬間声を上げた。
「クレスケンス!?」
「―アズール!」
「なんでここに?」
「そりゃこっちの台詞だ。」
 アズールがここに来たのは無論、魔力結晶精製のためだ。この地は雷の魔力に満ちている。雷の力を操るならば、自宅の儀式室よりもここの方が適していた。
 いきなりで面食らったようだったが、にっと人なつっこい笑みを浮かべて、彼はばしばしとアズールの肩を叩いた。
「しっかし久しぶりだなぁおい!100年ぶりくらいか?」
「ははは、クレスケンスも変わりないみたいだね」
「んー、まぁまったくとは言い難いがな」
そう言ってクレスケンスは周囲に目を泳がせた。
「あーあ、またスタート地点かよ」
「クレスケンス、一体何があったんだい?」
「いや…それが情けない話なんだがな?」
かりかりと指で頬をかきながら彼は話し始めた。
 異変が起こったのは今日。いつも通りクレスケンスはこの森の最深部雷の祭壇にいたのだが、不意に、何者かが不正に入ってくるのを感じた。バリアを押し広げて、というかすり抜けて、というか。それとほぼ同時に、森に霧が立ちこめた。クレスケンスの背後に不意に立って、『入り込んできた何者か』はささやきかけた。
『こノ地は私ガもらい受けマス』
「―で、気がついたらここにいた。」
「ただの目くらましじゃないわけか、この霧は」
「そーゆーことらしい。」
憮然としてクレスケンスは言った。機嫌が悪いときのクセで紫色の目を細めている。
「どうもでたらめに空間をつないでいるらしくって、祭壇に行こうとしてもここに戻される。これで、もう5、6回目だ。」
「ここの守護者であるクレスケンスでもだめなのかい?」
「悔しいことにな。つながりの見当もつかん」
「うーん…色々試してみるしかないかな?」
そう言ってアズールは細いワイヤーを取り出した。

 再挑戦通算7回目。スタート地点に戻される。

 再挑戦通算8回目。スタート地点に戻される。

 再挑戦通算9回目。ワイヤーを目で追いながら8回目と同じように歩いたはずなのに、何故か別の場所に出た上やはりしばらく歩いた後スタート地点に戻される。

 再挑戦通算10回目…
「だぁぁっわからーんっ!!」
クレスケンスは大声で叫んだ。足下には殺すわけにもいかず、とりあえずのした眷属が転がっている。どうもこの霧には幻惑効果があるらしく、普段はクレスケンスやアズールに懐いている無数の狼たちが二人を『侵入者』とみなして攻撃をしかけてくるのだった。
「アズールっ!どうにかならんのかこれっ!」
「んー…とりあえず」
「何か解ったのか!?」
「つながりがランダムらしいということは。」
「…意味ねー。」
がっくりと大袈裟にクレスケンスは肩を落とした。気がつけばまたスタート地点。すべての道がここにつながれているのではないかと思われるほどだ。
「こんなことならザルツ連れてくるべきだったかもなぁ。」
物理的なものから魔術的なものまで、封印やトラップの類を解くのをザルツは異様に得意としている。時に『解く』のではなく『破壊』したり『消滅』させたりしていることもあるが。思うに職業柄といった所だろうか。今更ぼやいても仕方のないことだが。
 アズールは魔術書を取り出し、目を伏せた。
「ちょっと待ってくれ、突破口を探す。」
アズールの足下から、地面を這うように紋章が広がっていく。クレスケンスは首肯して邪魔をしないように口を閉ざした。
「……」
数十秒後目を伏せたままアズールは口を開いた。
「…ここだ。西475m、北782m。」
「よし!」
おもむろにクレスケンスは天空に手をかざした。
「貫け、紫電の閃槍よ!」
大気を震わせて、稲妻が走った。霧が薄くなっていく。
「これでいいのか?」
「うん、お見事。」
目を開いて、アズールは拍手した。すうっと足下の魔法陣も消えていく。
「なんかまだ霧残ってるけど」
「大丈夫、もう空間を歪めるほどの力はないから。さあ、ボスキャラを倒しに行くとしよう」
迷うことなくまっすぐに、アズールは歩き始めた。

 見知った長い一本道。その先にその壮麗な祭壇はあった。豪奢ではないが、気品と強い魔力が感じられる。そこにはまだ他の場所よりも濃い霧がかかっていた。
「くクくく…良くここまデおいでになリまシた」
その時不意に声が聞こえた。目の前に霧が集まり、人のような姿に固まった。まるで道化師のような極彩色の衣装を纏い、酷く背の曲がった老人のような姿。指は不自然に長く、長く伸ばされた爪は、毒々しい赤で彩られていた。
「いヤイや、それにシても乱暴なお方ダ。迷路を壊しテ突破するナンて邪道でスよ」
にぃっと口の端を上げてそれは嗤った。
「さぁゲームのお代を払っテいただきまショウか」
「そうだな、とっても楽しいゲームだったぜ、むかつくほどなぁ!」
クレスケンスはそれの顔面を思いっきり殴りつけた。ぼこっと顔半分がえぐられたようになってそれはのけぞった。
「クくははハは…」
「なっ!?」
その時周囲の霧がそれの周りに集まった。ぐん、と上半身のバネだけで起きあがり、にやっと嗤ったその顔がみるみるうちに元の形に戻っていく。
「再生だと!?」
「なるほど、この霧すべてが君の体というわけか」
「くクク…その通リで御座いマス」
自己陶酔しているような口調でそれは話した。
「嗚呼なンと素晴ラシイこの魔力!こレで私は永久〈とわ〉の命ヲ手に入れタ!」
クレスケンスは軽く鼻で笑った。
「ずいぶんとなめられたもんだな」
小さくそれは息を呑んだ。空気が、比喩ではなくピリピリしているのを感じる。
「俺をここからはじき出せなかったことを後悔するんだな…ここでの俺は最強だ」
アズールは無言でクレスケンスから一歩離れ、目を閉じた。白い光がクレスケンスを包み、その紫の瞳の光彩が、獣のように細くなった。
「永久の命の代わりにせめて誉れを与えよう、雷神直々に葬られるという!」
閃光と共にクレスケンスは大きな金狼へと姿を変えた。
「ひっ…!?」
女々しく滑稽なまでに怯えてそれは大きく後ずさった。雷神クレスケンスは喉をそらせて天に咆哮を響かせた。咆哮の余韻が消える前に、空気を雷電が貫いた。どぉん、と爆発音にも似た雷鳴がとどろき、視界は紫がかった閃光に包まれた。
「くっ…」
爆風に煽られてアズールは後ずさった。甲高い耳障りな絶叫は雷鳴にかき消され、二人の耳に届くことはなかった。アズールが目を開いたとき、そこには地面がえぐられた跡だけが残っていた。
「ふん、こんなもんか」
「少々やりすぎっぽい気もするけどね」
雷鳴の余韻でじんじんと耳は痛み、閉じていたにもかかわらず閃光で目が少々いかれていた。クレスケンスの落雷攻撃の時にはサングラスでも掛けるべきかもしれない。
「わりわり、手加減するの結構難しくってな」
ころっと態度を変えてクレスケンスは手…もとい前足で頭をかいた。この地は守護者である彼に味方する。ここの魔力の加護を受けて、クレスケンスの力は数倍に跳ね上がる。普通にやってあれだ。焦げた地面がぶすぶすと煙を上げている。
「たしかにちっと派手だったかもな」
その時、木々の間からがさがさと草を鳴らして何かが近づいて来た。クレスケンスは即座に気を引き締め鋭い眼光をそちらに向けたが、すぐに肩から力を抜いた。
「…なんだ、お前たちかよ」
下草をかき分けて現れたのは狼たちだった。四方八方から狼たちが近づいて来るというのはそこそこに恐い物があるが。
「ったくお前らなっさけないんだよ!」
軽くクレスケンスがうなっただけで、狼たちはその辺りをきゃんきゃん鳴きながらあたふたと走り惑った。救いを求めるように、耳をぺたんと伏せて狼はアズールを見上げた。まるっきり犬だ。
「まあまあ、怯えちゃってるじゃないか」
「冗談程度だって。こんの臆病もんどもが。」
いつのまにか人間の姿に戻って、クレスケンスは憮然としてプラチナブロンドの髪をかき回していた。

 祭壇に朗々と呪文を詠唱する声が響く。そこに、もう一つ声が重なった。向かい合った二人の間にクレスケンスの雷の色によく似た紫色の光で魔法陣が描かれていく。アズールが魔法陣の中心に手をかざすとそこに魔力が光と共に集まっていった。ひときわ強い光が放たれた後には、大きな紫色の結晶が浮かんでいた。導かれるように結晶はゆっくりとアズールの方へと漂っていき、彼はそれを受け止めたと同時に魔法陣はかき消え、クレスケンスはため息をついた。
「これでいいのか?」
「うん、ありがとう」
アズールも息をついて、クレスケンスに笑いかけた。
「まだまだ先があるんだけどねー。これはベース中のベースだからこのままだとたいして使えないんだ。使ってるうちに魔力が流れ出しちゃってただの石ころになっちゃうしね。これから精錬して、その後アイテムとして使いやすいように加工してー。」
「その辺は俺にはよくわかんないんだよなぁ…」
「僕にはこれが本職だからね。協力を無駄にはしないさ」
アズールは自信たっぷりに笑った。それを見てクレスケンスも口元に笑みを刻む。
「大丈夫みたいだな」
「は?」
「いや、なんでもないさ。頑張れよ」
何故だったかは知らないが、ここに来たとき妙に追いつめられた表情をしていたから。
「(無駄な心配だったみたいだな)」
「なんだよ」
「なんでもないっつーの。こんくらいで眉間にしわ寄せてんな」
マッチ棒が乗りそうな勢いだぞ、といってクレスケンスはアズールの額を指でこづいた。
「余計なこと考えてないで、お前はただやることをやればいいんだよ」
「それはそうだけどね―まぁいいや」
アズールが指笛を吹くと、雲一つない青空に大きな羽ばたきの音が響き、白竜がアズールの目の前に舞い降りた。
「もう行くのか?」
「ああ」
アズールを乗せて白竜は空へ舞い上がった。クレスケンスは軽く手を振りながら、それを見送った。手を振り返しながらアズールは笑みを浮かべた。

 そう、気負うことはない。ただ、自分にできることを…

 その後アズールの儀式室で完成されたのは、アメジストに似た透き通った紫色のオーブ。雷帝クレスケンスの力によってそれは強い雷の力を持った。
「…これなら突破に充分使えるな」
掌の上でそれを転がしながらアズールはつぶやいた。

 願わくは、これが皆の役に立ってくれるよう…


afterwards
 おそらく初の技SS。頑張りました。アズールも作者も(疲)。言うばっかりでなかなか実現しなかったアイテムSS、これで達成。
 オリジナル新キャラが出ているので、一応補足紹介。
〔シンシア〕
 アズールの助手のようなことをしている人。といっても正確には人では無く、精霊の一種。鉱石の精霊ではないのですが、シディアのように核はあります。彼女についての詳細はまた後ほど。アズールの大技、リバースで召喚する精霊は彼女です。
〔クレスケンス〕
 一見すると、プラチナブロンドの髪と紫色の目の長身の青年だが、その真の姿は人の姿の時と同じ色の毛並みと瞳をした金色の狼。アズールのいた『箱庭』の神の眷属で、『箱庭』の聖地、いうなれば飛び地か地方支店のような場所を管理・守護しています。そのために彼の『聖地』ではその地の魔力を利用して強大な力を使うことができます。アズールがかなり遠くにあった結界の要を見つけることができたのも、クレスケンスの味方だから。
 ちなみに、『クレスケンス』とはラテン語で『鋭角なもの』を意味し、『クレスケンス・ルナ』で三日月を意味します。
 それでは、読んでいただいてありがとうございました。

 懐かしいなぁ、クレスケンス。よく考えたらこのキャラ、アキスの原型だったかも知れない。性格が。
 技SSというのは、技新規登録するときにSSつけて送ったら若干強力にしますよというキャンペーンでした。
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