吹き込んだ風に、ばさばさとまとめられていないファイルが数枚舞った。アズールは慌てて窓を閉め、小さくため息を付いた。傍らには積み上げられた本の山が微妙なバランスを取って林立している。古びた本も数多く混ざるそれらには、所々から付箋が顔を出していた。
 この部屋は、アズールの書庫の一つだ。主に、魔術書の類が納められている。威圧的な印象を感じさせる背の高い本棚がずらっと並べられていて、さながら図書館だ。このくらいの密度の書庫が更に有る…本嫌いな人は眩暈を起こしそうな大資料庫。
 しかしそれでも、充分ではないことは多い。
 窓を閉めきってしまうと、微かに古い本独特の黴臭さが辺りに漂った。重要な物から順に時の流れと共に風化してしまわないように魔法で加工しているのだが、未加工の物も混ざっているせいだ。けほっと小さくアズールは咳き込んだ。黴混じりの空気というのは、少々喉に悪い。生まれつき余り気管支が強くない―無論、魔力や療養でどうにかならないものかと色々してみたが、体質という物は少々では変わってくれないらしい―アズールにとっては、気を付けて避けるべき物の一つだ。しかし、書庫の独特の雰囲気は、この空気も含めて好きだった。
 ちらと本棚に入っているある本に目をやって、アズールは床に座ったまま軽く手招きをした。すると、ごくごく淡い光に包まれてその本が本棚から引き抜かれ、アズールの手元に収まった。世間で超能力―念動力(サイコキネシス)と呼ばれているような物だ。腕力があまりないのをアズールはこういった形で補っている。しかし便利な反面、多用するとまた腕力が落ちてしまうという悪循環にもなっている。体力的なことを魔力で補うのでは、根本的な解決にはならないのは本人もわかっているが…わかっているだけでは意味がない。
 アズールは頬杖を付いてページを繰った。既に持っている本は何度も読んだ経験があり、書かれている内容はだいたいわかる。…自分が求めるような物が、ほとんどないであろうということも。
 アズールはもう一度ため息を付いて背を本棚に預けた。
「…あーあ、こういうときだけは『箱庭』に残っていればって思うなぁ。」
 『箱庭』の研究神達の持っている蔵書は星の数、といっても過言ではないだろう。データの形で納められている本をすべて具現化すれば山どころじゃなく軽く島ができそうな数だ。『箱庭』の公式蔵書でそうだ。個人で持っている資料を含めたらアズールの持っている蔵書の数など取るに足らない物だ。―もっとも、その膨大な資料類はあまり有効に使われていないのが現状だった。公式蔵書は取り寄せまでに凄く手間がかかったし、個人的なことでは許可が下りないことさえもあったし。
アズールはふっと口元に微かな嘲笑を浮かべた。
「(腐っているのは資料だけじゃないな)」
あそこにいたら『自分』が壊れそうだった…だから自分は『箱庭』を出たんだ。その選択が間違っていたとは思わない。ほんのときたまこうして思うことはあるけれど。
「未練…か。あんな物に対する未練がまだあるとはね」
数少ないが、友人も居た。研究にはこれ以上ない環境があった。…しかしそれを差し引いても、そこは…。
 ふるふるとアズールは軽く首を振った。無駄なことを考えている場合じゃない。時は迫っているのだから。わずかに眉間にしわを寄せて、数冊の本を持ちアズールは立ち上がった。その時、アズールはひどい眩暈に襲われた。
「……っ」
床に片膝をつきアズールは苦しげに背を丸めた。立ち上がろうとするが、その勢いで逆に両膝をついてしまった。
「……けほっ、ごほっ」
激しい咳が喉からあふれた。背を大きく震わせながらアズールは咳き込み続けた。
「(…やばっ…!)」
つぅっと嫌な汗が頬を伝う。…咳が止まらない。最近はまったくなかったから、油断していた。アズールのもともと白い肌からは血の気が失せ、息苦しさでだんだん視界が暗くなっていった。
『アズールさんっ!』
空間がゆらめき、漆黒のローブの長い裾をはためかせてシンシアが現れた。悲鳴に近いシンシアの声を遠くに感じながら、アズールは本の山の一つを崩して床に倒れ込んだ。

 陽がゆっくりと傾いていく。泉は階段を下りて、西日が窓から射し込む店内に入っていった。もう少しで開店時間だ。軽く泉は伸びをして、ふと何か違和感を感じた。
「?」
きょろきょろと泉は辺りを見回した。
「気のせいかな…?」
その時、ヴンッとモニターのスイッチを入れるようなノイズ音がして、空間が歪んだ。うっすらと虚空に魔法陣が浮かび、漆黒のローブを纏い、フードを目深にかぶった長身の女性が現れた。その肌は不自然な程に白い。
「!?」
泉は突然の出来事にぎょっとした。ふわりとローブの裾を中世の姫のロングスカートのようにはためかせ、その女性は床から10pくらい浮いて滞空した。…冥界生物ででもなければできない芸当だ。
「(ひょっとしてまた賞金稼ぎ関係?)」
泉に恨みを持つ冥界生物から依頼を受けた賞金稼ぎ、ティティスが現れたのはまだ記憶に新しい。泉はいつもひそかに隠し持っている、風を操る杖、ウィンズをそっと握り直した。その時、軽く身を乗り出してその女性の唇だけが言葉を紡いだ。
「………!」
「え?」
「…………!!」
フードのせいで表情がよく見えないが、必死に何か訴えようとしているようだ。とりあえず殺気はまったく感じられない。さらに彼女は何かまくし立てているのだが、だんだん焦って早口になっているせいもあってわかり辛い。そこまで早口ではよほど読唇術に長けている者でもわからないかもしれない。
「あのー、とりあえず落ち着いて…」
どうしたらいいものかと思いながら、苦笑いして泉は話しかけた。なかなか伝わらないことにかなり焦っている様子のその女性は、ゆっくりと唇を動かした。
「…え?」
 今…
「…『アズール』…?」
いぶかしみながら泉はつぶやいた。読唇術を昔ほんの少しかじったことはあったが、自信はほとんどなかった。半分以上勘だ。小さく、しかし確かにその女性は頷いた。
 その時、二階から長い銀髪を首の後ろで束ねながらシディアが降りてきた。漆黒のローブの女性を目に留めて、シディアは小さく目を見開いた。
「シンシア?なぜここに…」
勢いよく振り向いて、漆黒のローブの女性…シンシアはシディアに駆け寄った。さっきより更にハイスピードでシンシアはまくし立てた。素早くぱくぱく唇のみ動かしているのでなんだか酸素不足の水槽の金魚みたいだ…などと考える余裕のある人物はここには居ない(…はず)。小さくため息をついて、シディアは手でシンシアを制止した。
「…わかった、すぐに行く」
「シディアさん、読唇術使えたんですか?」
「いや…ただ」
シディアはもう一度ため息をついた。
「予想がつく…つきあい長いから」
「そ、そうですか」
「ザルツもつれてくべきかな…」
「アズールさんに何が?」
シディアは目を伏せた。
「えっと…」
言い淀むシディアに泉は苦笑いした。わかってきたことが一つ。この人はよく秘密を作るが…ひどく、隠し事が下手だ。
「言いにくいなら無理にとは言いませんよ。ただ、アズールさんは『仲間』ですから。」
「…すまない、今はとりあえず伏せておかせてくれ。こういう形で知られたら嫌だろうから。」
…既に半分近くは、知れたも同然というものだが。
 ドアを開けると、ザルツと鉢合わせした。
「ちょうどいい、探す手間が省けた。」
「は?なんです?」
ぐいっと腕を掴んで歩き出そうとするシディアに間の抜けた返事をザルツは返した。ふわりとザルツの目の前に漆黒のローブがはためく。その唇の動きを見て、ザルツの表情がすっと冴えた。
「…じゃ、急がなきゃですね。」
声には出さずに、唇の動きのみでシンシアとザルツは二言三言会話を交わした。どうやら、ザルツもシンシアも読唇術はかなり得意なようだ。
「ニックス…」
「待った。それより、シンシア」
こくりとシンシアは頷いた。シディアは泉の方に振り向いた。
「そういうわけなんで、今日は泉さんだけでお願いします」
「あ、はい。そこまで気にしなくても大丈夫ですよ〜。」
「本当、シディアは真面目ですねぇ…律儀と言うべきでしょうか」
眉根を寄せて軽くシディアはザルツを睨み付けた。ザルツはただいつもの人をからかう笑みを浮かべている。この程度なら一応許されるということはわかっているのだ。時々そういうボーダー感覚を誤って手痛い反撃を受けているが。シディアはシンシアに視線を戻した。シンシアは真剣な表情をして軽く俯いた。空間が揺らめく。シンシアが現れたときと同じ魔法陣が描き出され、3人の姿はかき消えた。

 3人は次の瞬間には目的地に降り立っていた。ここがアズールの家、A界とB界の間にある浮島だ。
「亜空間を利用したテレポーテーション、ですか。…なかなかやりますね」
『少ない取り柄の一つです』
シンシアの唇の動きと同じ言葉が、直接頭の中に響いた。
「え?」
シンシアは口元だけで苦笑いした。
『すみません、うろたえるとこの声が上手く使えないんです』
それは肉声に限りなく似た、不思議な美しい声だった。テレパシーの類にしてはかなりの上級ランクだ。声が出せないと不都合なことも多い(読唇術に長けた人物は少ない)ので、かなり前に身につけたのだが。
「シンシア、アズールは?」
『あ、はい!こっちです』
シンシアが手をかざすと音もなく扉が開いた。二人の先に立ってシンシアは滑るように宙を駆けていった。おそらくは一人だけの住んでいる建物にしては、アズールの家は異様に広い。その大部分を占めているのは資料室、そして外からでもその魔力を感じることのできる儀式室。
「…ザルツ」
「わかってますよ、寄り道はしませんってば」
苦笑いしながらザルツは言った。

 ばたん、とやや乱暴に扉が開かれた。
『アズールさんっ!』
ザルツはシンシアの横を通り過ぎ、床に倒れ込んでいるアズールを支え起こした。まだ肩で喘いでいるアズールをやや前傾姿勢で座らせる。迷うことなくザルツは一つの薬を取り出し、吸入させた。このくらいの状態の場合は一般の薬では収まらないことが多い。しかし、どうやら医療現場で使われる物並の強い薬らしく、次第に発作は収まっていった。処置はてきぱきと進み、シンシアとシディアが口を挟む暇すらなかった。
「酸素吸入のできる物がないんですよね…一旦ラボに戻って、いや」
珍しく真顔でつぶやいて、ザルツは小さく呪文を詠唱した。魔法陣が虚空に現れ、中から金髪金眼の青年が現れる。
「フォカロル、ちょっと酸素吸入の物持ってきてくれません?左から4つ目の薬品棚の下の方に『oxygen』っていうラベルの貼られた…」
「…っておい、俺は雑用係か!」
「うん。だって戦闘で役に立たないですし?」
しれっと、さも当然のように言ったザルツに、フォカロル(魔王。雑用係(仮))はうなだれた。
「わかったよ取ってくれば良いんだろ!?速攻で取ってきてやるよ!」
自棄になってフォカロル(魔王。雑用係(決定))はザルツに叩きつけるように叫んだ。その姿が再び魔法陣の中に消える。シンシアと同じく、フォカロルは術者の召喚が無くても亜空間内を移動できる。シンシアを行かせたり、自分がシンシアの力を借りて行っても良いのだが、フォカロルに行かせるのが最適だろうと踏んでザルツは指示を出したのだった。シンシアは薬品棚のある部屋を知らないし、自分が行けば再びアズールの容態が変わったときの対応が遅れる。
「とりあえず、去痰剤は必要ありませんかね…」
「…えらく慣れてるな」
シディアの方に振り向いてザルツはにっと口元に笑みを浮かべた。
「ただの毒の扱いのみに長けたマッドサイエンティストだとでも思ってたんですか?毒を扱うなら薬の知識が必要になる。毒を専門に学ぶ学問はありませんしね。それに色々便利でもありますからこう見えても薬剤師免許と医師免許持ってるんですよ♪」
暇だったんで去年また取り直しました、とさらりとザルツは言ってのけた。当然、戸籍を偽造して取得したのだろう。国家試験の中でも難関の医師免許と薬剤師免許を『便利そうだから取得』『暇だったからまた取得』なんていう風に気楽にパスしてしまうザルツはなんだかんだ言いつつやはり頭の切れる人物なのだ。
「それと、瀬尾の父君が少々喘息もちなんで。私、彼の主治医やってるんです」

 いささかばつが悪そうに、アズールは笑った。
「はは…ご心配おかけしまして」
「笑い事じゃないだろう」
眉根を寄せてシディアは言った。取り繕うようにアズールはただ笑うしかない。少し離れたところでザルツは癖のある笑みを浮かべて言った。
「まったく、何で薬を持ってなかったんですか。察するに最近発作がなかったから油断した、とかですか?」
図星。言い返しようがないのでアズールは笑顔を引きつらせた。
「発作の原因は、色々ありそうですよね。当然ろくすっぽ換気もしてなさそうなこの部屋の空気のせいもあるでしょうし、過労とか睡眠不足とか心理的要因とかも引き金になるってことくらいわかってますよね?」
「そうだねー。」
自分でも、心当たりは有りすぎる。有りすぎてどれが原因なのかわからない。ひょっとしたら思いついたそれら全部かもしれない。作り笑いを浮かべて明るい調子でアズールは返した。視線を横にやるとシンシアがただじっとこちらを見ている。
『……』
「………」
アズールはうなだれてため息をついた。
「…ごめんなさい。」
「…けど、本当にそれじゃすまないことですよ」
すっとザルツの表情から笑みが消えた。
「シンシアから状態を聞いたときは、私よりシディアの力を借りることになるだろうと思ってました。」
シディアの指には、パーティーメンバー中ではシディアのみが使えるセラフィムリングが嵌められていた。唯一、死者蘇生とまではいかないが通常の処置をしてももはやどうにもならない状態を切り抜けることができる復活魔法『レイズ』を使うことができるものだ。
「今回はステロイド薬と酸素吸入で何とかなりましたけど。既に自分でわかっていると思いますが喘息は完治の非常に難しい物です。そして、発作は可逆性といっても大発作は処置の遅れであっさりと死ぬ危険性もある」
「…わかってるよ。今回が最初じゃないから」
『箱庭』―神族が住むにふさわしくない物はとことん排除された、言い換えれば全体が閉鎖病棟か無菌室のようなあの空間に居たときでさえ、発作が起こることは何度もあった。一番ひどかったのが聖櫃の研究に関わっていた頃だったから、原因は『箱庭』が排除することができないどころか大量生産していたマイナス要因だったストレスとオーバーワークが大きかったのだろう。アズールは苦笑いした。
「あーあ、かっこ悪いとこ見られちゃったなぁ」
深い蒼の髪をかき回し、ふと思い出してアズールはシディアに話しかけた。
「そういえば…」
「泉さんには言ってない。察してはいるかも知れないが」
アズールが言う前にシディアは返した。
「…そう。」
「でも、そのうちばれる危険性は大ですね。どうするんです?」
「戦闘中に倒れるような醜態は晒さないよ」
それは希望でしかない。戦闘中に発作が起こる可能性はある。…ただ、それだけは絶対に避けたかった。ザルツは苦笑いした。
「体調は自分で管理しないとどうにもなりませんよ。次もフォローできるとは限りませんからね」
体調の自己管理という点では、ザルツもあまり人のことを言えた物ではない。研究に没頭するあまり完成すると同時に寝込んだこともしょっちゅうだ。ただしそれを人目に晒すのだけはザルツとしてもごめんだった。だから、そういうときは表には出ないし、限界を見極めるようにしている。どうしてもというときには薬に頼る。…それはかなり問題な対処法だが。既に薬品の多用で副作用の起こりにくい体質になっているザルツでなければ、より一層体調が悪化する。
「ところで、何を調べてたんです?」
にやっとザルツはいつもの企みが見え隠れする笑みを浮かべた。その手には、アズールが取りだした本の一冊が握られている。
「やっぱりいい本持ってますね。どれも冥界ですら手に入れ難いランクじゃないですか♪」
語尾が跳ねている。人が倒れた後だというのに楽しげだ。
「…どさくさに紛れて持って帰んないでよ?」
「はいはい。」
アズールは軽く手招きをした。ザルツが残念そうに手を放すと、本が浮かんでアズールの元に戻る。
「いろいろ調べてたのはね」
一拍おいてアズールは言った。
「新しい回復呪文さ。体力ではなく、魔力の。」
「魔力回復呪文?」
強敵との戦闘が主になるに従って、MPを大量に消費する戦い方になる。HPを回復させる呪文は数多くあるが、MPを回復することのできる呪文はほとんどない…というか、ザルツは文献でも見たことがなかった。MPを敵から奪い取るドレイン系の上級魔法はあるが、それは当然術者のみの回復であり、失敗の危険性も結構高い魔法だ。もしも魔力の回復呪文が使えるならば、危なくなったらMPを回復させ、HP回復呪文を惜しみなく使うことができる。そんなことが可能なら、戦闘はかなり有利になる。ザナクの魔力を大量消費する技も連発ができてしまう。それと、おそらくはシディアのことを考えてのことだろう。今は、やや安定している。しかし、シディアはいざとなったらアズール以上に、自分の限界を考えて踏みとどまるということはしないだろう。シディアには既に次はない。次に核が砕けたらもうどうしようもないのだ。
「…でも、それがなかなか難しかったんだよねー、今までなかったわけだよ」
「アズールならできそうな気もしますけどねぇ?アルケミストですから魔力の扱いは…」
「そ。そう僕も思ったんだよ」
とんとんとアズールは本の表紙を指で叩いた。
「魔力を増幅する魔法陣はある。自己回復ならば比較的簡単だし、文献にもいくつか有るんだ」
「…属性の違いか」
「そう、その通り」
自分の魔力を増幅して対象に移す、という方法も考えたし試してみた。しかしそれではすさまじく効率が悪い。波長の違う魔力では反発してしまい上手くなじまない、つまり回復しない。
「臓器移植みたいですね」
「ま、そんなものかな」
移植の拒否反応にも似ている。特に反発しあうのが聖と闇、炎と水、地と雷。そこら辺は下手に混ぜるとお互いに害しあって回復するどころか消耗する。それに、属性という物は様々な物が上げられているが、人間の性格と同じようにいくら細かくしても分類しきれる物ではない。例えば、アズールの持つ属性は聖・氷。ただしその他の魔力への耐性・順応性もあり比較的バランスは良い。だから様々な属性の魔力を扱う錬金術師としてやっていけるのだ。ザルツは大きく闇に偏っている。これはかなりわかりやすい。闇の魔力には普通の人間は拒否反応を示してしまうのだが、ザルツはかなり特異なケースと言えるだろう。そして、複雑なのがシディアだ。彼女は聖と闇という相反する属性を両方持っている。その他、ヒロは属性がはっきりしない。フォルティは水と雷というこれも少々変わった取り合わせの属性だ。それらすべてに十把一絡げに対応するわけには行かない。
「確かに、難しいですね」
「…別に、無くても良いだろう。今までMP回復無しでもたいして問題なかったし。」
シディアの意見はある意味もっともだ。特に最近、たくさんの仲間が集まっているためにたいていの相手は袋叩き…もといチームプレーで、楽勝でさっさと叩きつぶしている。魔術師系のHPが尽きたときはあったがMPが尽きたことはない。
「でも、これからもそうとは限らない。例えば、長期戦になったりとかするケースもあるし。それに…」
ぐっとアズールは手を握りしめた。
「文献を読む限り今まで誰も成功したことの無かった呪文…それが完成できるかもしれないっていうのにここまで来てやめるわけないだろう!」
「わかりますその気持ち!」
「だろう!?」
勢いよくザルツは同意した。…研究者気質×2。シディアは軽くため息をついた。
「…実はそっちが主な理由になってるだろ…」

 アズールの書庫の資料は多い。ここ数日でそのほとんどを洗っていたが、決め手になるような参考文献はなかった。魔力の増幅に関する事については既に解決済みだ。後は、どうやって効率よく回復ができるように、適した魔力を練るかだ。
「それぞれの属性パターンのデータを取れば良いんじゃないんですか?手伝えますよ」
「それが無難かなぁ。手間かかるけど」
それに、その方法では新たに加わるたびにデータを取らなければならない。この期に及んでメンバーが増えるということは無いかもしれないが、無いとも言い切れない。
「それに、大まかなパターンは既にわかってるんだけどなかなかバランスがね…」
風にめくられてしまったページを戻しながらアズールはつぶやいた。反省を生かして、現在部屋の換気をしている。しかしやっぱり資料が飛びそうになって不便だ。換気扇でも付けた方がいいかもしれない。
「もーちょっとなんだけどなぁ」
アズールはため息をついた。話を聞くともなしに本のページを繰っていたシディアはふいにぼそっとつぶやいた。
「…パターンを『作る』から難しいんじゃないのか?」
「は?」
意図がつかめず、アズールは聞き返した。しかし、すぐにそれに気付いてはっとする。
「ああ、そっか!確かに…」
「自己完結しないでくださいよ」
「ザルツ、ドレイン系の呪文調べるの手伝ってくれない?」
それでぴんときたらしく、ザルツは口元ににっと笑みを浮かべた。
「調べるまでもありませんよ。その手は専門分野ですから、既にいくつか知ってます」

 3人は外に出た。新しい呪文を試すときは儀式室を使う事も多いのだが、儀式室では実際以上の効果が発揮されてしまう。儀式室は魔力を練る場所なので魔法の威力が上がるのだ。だから、実戦での事を考えるならば呪文は外で試した方がいい。そのためもあって、浮島の庭はそこそこ広い。
「じゃ、始めるよ」
にっと笑って、アズールは魔術書の新たに刻んだページを開いた。小声で呪文を詠唱しながらシディアの方に右手をかざす。その手に、淡い光が集まった。更にアズールの詠唱は続く。足下にうっすらと光で魔法陣が描かれる。アズールの手の光と同じ光だ。ゆっくりと、しかし確実に光がその輝きを増した。ふわっと光球がアズールの手から離れる。それはシディアに触れるとすうっと消えた。いや、消えたのではない。それはシディアの中に還ったのだ。
「…成功?」
「みたいだな」
「やったぁ♪」
ぐっとアズールはガッツポーズをした。バランスの一番微妙なシディアで成功すれば、他のメンバーにも充分応用が利くはずだ。
 発想の転換。属性を一致させ、拒否反応が出ないようにするパターンを作るのではなく、パターンをコピーする。パターンに合わせて魔力を集めて練るより、オリジナルを元にした方が遙かに効率がいい。蓋を開ければ単純だ。一旦対象の魔力をドレインし増幅して返す。ただそれだけの作業。
「あー、何で思いつかなかったんだろう。こんな単純なことに…」
悔しそうにアズールはつぶやいた。自分の魔力ではなく、他人の魔力を基礎とすることは錬金術ではそう珍しくない手順だ。この間完成させた紫電のオーブも、クレスケンスから借りた魔力を練った物だ。ストレートにクレスケンスの魔力を固めた物ではない。そんな方法でオーブを作ろうと思ったら密度の低い物になるか、クレスケンスにとてつもない負担を掛けることになる。
「頭固まってたんだろう。『発想』を司る神だったよな、確か。」
「…ああもうっ!悔しいっ!!」
今回の一件では完全に一人負けのアズールの叫び声が浮島に響いた。


afterwards

 本日の格言:急いては事をし損じる。三人寄れば文殊の知恵。急がば回れ。
 規程の3000字を大きくオーバーしましたが、これじゃあ『体力』値が下がってしまいそうです(汗)知力か魔力を上げて欲しいなぁ。
(※TABLETOPでの、SS投稿でステータスボーナスもらえる企画です。)
 時期は紫電のオーブ作成後、通信口突入前。
 通信口突入セッションで、アズールがフォルティに煙草を勧められて断ってましたが、吸ったら大事ですねぇ…。気管支が弱いどころか、喘息持ちですか。

はい、ここで豆(?)知識。

 喘息とは呼吸の度に喘鳴(ヒューヒュー、ゼーゼーという音)を伴い呼吸困難になる状態が発作的に起こる病気です。その他、咳、痰を伴うことも多いです。発作は数分から数時間、発作が起こっているときとそうでないときの差ははっきりしていて、収まっているときには日常的な生活に支障はありません。発作は何度も繰り返し起こり、収まると治ったように見えますが、完治は難しいです。
 発作は薬で抑えることができるので、普通喘息持ちの人は発作を止めるための吸入薬(気管支拡張薬、副腎皮質ホルモン薬(ステロイド薬)など)を持ち歩くのですが、アズールはしばらく発作がなかったので油断して持ってなかったようです。
 話の中でも出てきましたが、発作の起こる原因は様々。直接の原因は各種アレルギー、感染症、それらの複合など。また、引き金になることには季節・天候の変化、過労、風邪、心労などがあります。
 発作には軽いものから重い物まで様々、アズールの今回の発作はかなり重い物です。そのくらいの発作が起こったら一般の吸入薬で抑えるのは無理です。速効で救急車呼んで酸素吸入しつつ専門医に運び込まなくてはいけません。
 …ただ、あまり体は強くなくって無理を重ねると倒れることもあるっていう設定のはずだったのに大事になってしまったなぁ…

本日の母親(薬剤師)からのツッコミ

 最初、こんな文章でした。
>暇だったんで去年更新しました、とさらりとザルツは言ってのけた。
母上:…薬剤師免許とか医師免許とかは毎年年末に更新しなきゃいけないんだけど。暇なときに更新するっていう物じゃないんだよ?
 …取ったらそれだけで良いのかなって思ってました(汗)。でも、その更新の時にはテストはないです。で、『暇だったんで去年また取り直しました』に改正。ほら、一回とっても不老不死だからまた取らないと。外見年齢は25歳で固定なんで、10年くらい経ったら不自然でしょう。
 それと、薬剤師免許や医師免許、毒劇物取扱免許には色々と制約が多いです。ザルツ、制約引っかかりすぎ。とれないじゃん(汗)……まぁ、嘘八百並べ立てたってことで!
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