虹の袂


 虹脚埋宝伝説という物がある。少しずつ形を変えて、その伝説は各地に点在している。要約すると、虹の袂に宝があるという物だ。それはこの世で最も大きなルビーだという説、国中の財宝すべてを集めたよりも多い金銀財宝だという説、『幸福』そのものだという説など様々だ。虹脚埋宝伝説だけではなく、虹にまつわる伝説は多い。
 実際には虹は空気中の水分がプリズムとなり、太陽光が分散した光の幻だ。その袂というのは眼が作りだした物であり、存在しない。真円を描く、袂のない虹も存在する。…人々の夢を形にしようとした科学技術が、人々の夢を切り刻んで無味乾燥な物にしていく。皮肉な話だ。
 そして狭量な人々によって理解できない物はあり得ない物として処理される。自らの感覚さえも偽って。

 陽光の降り注ぐ野原に、子守の似合わないごつい壮年の男とその娘らしい幼い子供が居た。少女は、無邪気に花を手折っている。そこに、すっと影がかかった。晴れ渡っていたはずの空に雲が懸かったのだろうか?そう思って彼女は頭上を見上げた。そこには、青空を旋回するものが居た。
「とりさん?」
「あ?」
ひょいと男も空を見上げた。それは大きな黒い鳥だった。普通ならあり得ないサイズの。にやっと男は口の端を上げて鳥に手を振った。それに気付いたのか、鳥が一点でホバリングする。男は大声を張り上げた。
「久しぶりだなぁ、シン!」
すうっと優雅に鳥は地上に舞い降りた。背中に一人の青年を乗せて。少女は目を見開いた。まるでおとぎ話のワンシーンのようだ。彼の髪はこの地では珍しい漆黒。更に珍しいことにその瞳は、髪と同じ漆黒と深い赤のオッド・アイだ。人当たりの良い笑みを浮かべて青年は話しかけた。
「今度はまたワイルドになりましたねぇ?一瞬わかりませんでしたよ」
「ははっ便利だぜ?この腕っ節の良さは。お前は相変わらずだな」
「私がごつくなったら気色悪いでしょう」
「そりゃ違いない」
ぽかーんと半口を開けて、少女は父親と青年のやりとりを見ていた。とても仲がいいようだ。男は思いだしたように少女を手招きした。
「紹介するぜ、俺の愛娘だ」
慌てて少女はお辞儀をした。
「はっ…はじめまして!アルヴィトです、6さいです」
自己紹介で年齢を一緒に言うという習慣はいつ頃まであるものなのだろうか?微笑ましく、初々しい物言いだ。青年は身をかがめて視線を合わせ、アルヴィトに話しかけた。
「初めまして。私はシン=ゴンデュールです。君のお父さんの昔の友達ですよ」
そう言って青年―シンは男の方に視線をやった。
「『全知』ですか。良い名を付けましたね」
アルヴィトとは、古代北欧語で『全知』を示す単語。北欧神話の冷厳な女戦士、主神オーディンの娘、戦乙女ヴァルキリーの別名の一つだ。
「この子がアルヴィトならあなたは主神オーディンですか?それは少々図々しい気もしますけど」
「うるせぇな、良い名を付けてやりたいと思うのは親の性だろう?」
くいくいとアルヴィトはシンの羽織っている白衣の裾を引っ張った。
「ねぇねぇおじちゃん」
『おじちゃん』。
…やっぱり25歳はおじちゃんなんだろうか。いや、このくらいの子供は結構広い年齢層をおじちゃんと言うし。
「なんです?」
とりあえず、遙かに年下の幼い子供に怒るのも大人げないかと思い、笑みを浮かべたままシンは振り向いた。ひょっとしたら引きつっているかもしれないが。
「とりさんにさわってもいい?」
「ええ、かまいませんよ。」
シンの乗っていた漆黒の翼の鳥はおとなしく足を折ってその場に座っていた。アルヴィトがそうっと手を伸ばすと、自ら頭をすり寄せた。
「おなまえは?」
「ニックスっていうんですよ」
「かっこいいなまえだね」
アルヴィトが上へ下へと撫でるので、首の羽毛がぐちゃぐちゃだ。それでもニックスはおとなしくじっとしている。気性が穏やかなのだ。
「乗ってみます?」
「え、いいの?」
ぱぁっとアルヴィトは顔を明るくした。
 ばさりと大きくニックスは翼を羽ばたかせた。背中でアルヴィトが無邪気に歓声を上げる。それを二人は眺めていたが、ふいにシンの表情が変わった。
「やれやれ、猫かぶるのは疲れますねぇ」
「かぶってたのか?口調は素じゃねぇか」
「力も押さえてたんですよ?」
シンの赤い瞳がふっと邪悪な気配を宿す。よく見ればその深紅の瞳の瞳孔はわずかに縦長だ。
「ところでフォルド。今は誰って事にしてるんです?『昔からの友達』が名前を知らないんじゃおかしいでしょう」
男はにっと笑った。
「バラックだ。バラック=G=ヴォルト」
「…知ってます?バラックって日本語で『ほったて小屋』ですよ。」
ちなみに、英語に日本語の『バラック』のルーツになった‘barracks’という単語がある。これも同じく、『一時の間に合わせに建てた粗末な家。仮小屋。掘っ建て小屋』を意味する。
「うわ、『掘っ建て小屋』はさすがに嫌だなぁ…けど俺の場合勝手に名前は決められないからなぁ」
「ですよねぇ。いきなり名前が変わったら不自然ですし」
押し殺した声でシンは笑った。
「そう言うお前は今はなんて名乗ってるんだ?」
「…私も語感で決めたらミスっちゃったんですよね。『ザルツ』」
「『塩』かよ。人のこと言えないじゃねぇか」
シン―ザルツは苦笑いした。
「いっそもう本名に戻しましょうかねぇ?これ知ってる人はもうあなたくらいですし」
今回は『シン』と呼んでおいてくださいと言って、ザルツは空を仰いだ。ニックスはまだ上空でアルヴィトをあやしている。
「で?今は何処に居るんだ?冥界か?」
「冥界と、あと日本です。…少々面白いことになっているもので。」
「退屈してないようで羨ましいよ」
「おや?暇なんですか?」
「いや、アルヴィトのせいで忙しいさ。」
二人の話がほぼ終わったのを察したのか、はしゃぐアルヴィトを乗せてゆっくりとニックスは降りてきた。
「そうだ、シン。今日は俺の家にでも来るか?どうせ『開く』のは明日だし」
「そうですね…別に予約もありませんし。昔話でもするとしますか?」

 まだ夜も明け切らないうちにザルツはニックスを呼び出した。
「なぁ、何処へ行く気なんだ?こんな辺鄙なところにまで来るほどの物は俺には感じられないぜ」
最近、封印が解けてからかなりの日数が経ったため魔力に余裕が出てきたのか、よく召喚してもいないのにフォカロルは現れるようになった。にっといつもの裏のある企み笑いを浮かべてザルツは言った。
「来てみればわかりますよ。あれにどれほどの価値があるものなのか―今はまだ『閉じて』いるから感じられないのは当たり前でしょうけど。」
ニックスの背に乗り、ザルツが飛び立とうとしたとき後ろから彼の肩を掴んだ者がいた。
「待てよ。ついでに俺も乗せてってくれ。良いだろ?ニックス」
それはバラックだった。背中に大きな荷物を担いでいる。バラックは話しかけながらニックスの首を撫でた。困ったようにニックスは主を見上げた。
「まったく…今回は気付かれないように出てこうとしたっていうのに。」
「残念だったな♪昨日から張ってたんだよ。俺は飛べないからな」
「やれやれ…」
男二人が乗るとニックスの背の上はやや狭い。軽くザルツはため息をついた。
「フォカロルー、乗せてってあげられませんか?人間一人くらい軽いでしょう?魔王なんだから」
「できるかっ!っていうかするか、そんな事!契約外だし」
「ケチ臭いですねぇ…じゃ、頑張ってくださいね、ニックス」
こくりとニックスは頷いた。その大きな翼を広げ、ニックスは暁の空に力強く舞い上がっていった。

 ニックスが降り立ったのは、昨日アルヴィトが花を摘んでいた草原だった。
「ここなのか?ただの野原じゃないか」
「そう、今はね。ところでバラック。大丈夫なんですか?」
「あ?」
「あなたの『愛娘』にはまだキツイでしょう」
「あ、ばれたか。」
そう言ってバラックは背中に背負っていた大きなリュックの口を開けた。その中には、体を小さくして丸まっているアルヴィトが居た。
「お前絶対嫌がるだろう?ここのことを知られるの」
「当然ですね。知られざる場所だからこそ希少性が高いんですし。女子供の口は羽根より軽いですからね。人が集まったりしたらやりづらい」
もはや、取り繕おうともしないいつも通りの調子でザルツは言った。
「75年に一度の大イベント、見せたい気持ちは分かりますけど」
「だろ?いいじゃねぇか、もう連れてきちまったんだし。もうそろそろ開くぜ?」
「…まったく…」
ザルツはため息をついた。
「当てられても知りませんよ?」
「大丈夫だ、連れて入ったりするようなまねはしないさ。俺自身入れないしな」
「…ねぇ」
大きな瞳で上目遣いにアルヴィトはリュックに入ったまま話しかけた。
「何があるの?」
「あ、俺も知りたい」
にっとザルツは笑った。
「『道』が開くんですよ。綺麗な七色のね」
その時、吹いていた風が不意に止まった。風が草を鳴らす音が止む。張りつめた空気と静寂の中バラックは東の山を仰いだ。
「…日の出だ。来るぜ」
まばゆい白日が山の後ろから登った。それと同時に、目の前に大きなサークルが描かれる。魔法陣にも似ているが、それは単純な円だ。そして、次の瞬間そこから光が吹き出した。
「なっ!?」
思わずフォカロルは目をかばった。…光の洪水。遙か天空へ、光がわき上がっている。ただの光ではない。これは、魔力の流れだ。様々な属性の魔力が渾然一体となって、巨大な流れを作っている。魔力という物は通常、特に一般の人間には見ることはできないが、その強さのせいでそれはアルヴィトにも様々な色を持った光として見えた。赤、橙、黄色、緑、青、藍、紫、白…刻々と色を変える、無限の色を持った虹。その色から、目が離せない。
「…綺麗でしょう?」
ザルツは軽く目を細めてつぶやいた。アルヴィトは虹に釘付けになったまま小さく頷いた。それは、今まで見た何よりも美しかった。しかしそれと同時に…どこか恐ろしかった。
「近づかない方がいいですよ。下手に魔力の低い者が触れたら消し飛びます。」
「なんなんだ一体…人間界でこんな事が起こるなんて…」
「フォカロル、北欧神話は知ってますか?」
ギリシャ神話に比べればその知名度はかなり低いが北欧地方では今でも信じられている神々の系譜。北欧の神々の創世から、その滅亡『神々の黄昏』を予言するところまで続く神話だ。
「ここはもはや忘れられていますが、かつてヒミンビョルグと呼ばれた地です。」
「まさか…」
「そう、これがビフレスト…神界に至る虹の道ですよ」
 北欧神話の中には3つの世界がある。神界アスガルド。人間界ミッドガルド。冥界ニブルヘイム。その三重世界を貫くのが世界樹ユグドラシルだ。そしてもう一つ、ミッドガルドとアスガルドを結ぶ道がある。それが虹の橋、ビフレスト。その袂にはヒミンビョルグという館がある。ビフレストを通れば、生きたまま神の世界に至ることができる。
「しかし実際には違います。ビフレストとは『神の世界』への道ではない。『神そのもの』に至る道なのですよ。人をも神に昇華させる、大いなる魔力の流れ。75年に一度開く光の道です」
そう熱っぽい口調で言いながら、ザルツは一歩足を踏み出した。草の葉を鳴らしてビフレストに近づいていくザルツを見てフォカロルはぎょっとした。『下手に触れたら消し飛ぶ』と言っていたのはザルツ自身ではないか。
「おい…」
ザルツを追ってフォカロルは数歩ビフレストに近づいたが、がくりと膝を折った。『聖』の魔力が強すぎる。『闇』の力を持つ魔族のフォカロルにはそれ以上ビフレストに近づくことはできなかった。フォカロルを無視して、ザルツはビフレストに歩み寄っていく。
「…ビフレストは『人が神へ至る道』だ。『闇』に魔力が大きく偏っている魔族は入れない。おそらくは『聖』に偏っている神の方も無理だろうな。ビフレストは『闇』も内包している。ビフレストに受け入れられるのは唯一、混沌とした魔力を潜在的に持つ、一部の選ばれた人間だけだ。それも、『生きた』な。肉体という鎧を持たない魂ではあの中に取り込まれるのがオチだ。」
「…だからビフレストは『生きたまま人が神に至る道』とされているのか…」
バラックは感慨深げな目でビフレストを見つめている。それを見上げながらフォカロルはなおもくってかかった。
「けどあいつは大丈夫なのか?既にあいつは俺達に近い者になってるぜ」
「さぁ、どうだろうな。…ま、でも呑まれたり弾かれたりするなら、ただそれまでだったって事だろう。」
ビフレストのすぐ目の前でザルツは振り向いた。
「そういうことです。…人生は常に賭けですよ。All or Nothingのね」
そう言って、ザルツはビフレストに踏み込んだ。

ビフレストの存在を知ったのは、遙かな昔だった。
当時自分はただの『変わった子供』でしかなかった。
親が親なら子も子だと。
(人を排斥する前に自分の平凡さを恨めばいいだろう。うっとおしい)
そのころはまだ
姿を現していないものを視ることができたり、
少々の魔力を扱えたりする程度
(しかしそれでも、保守的な人達が自分を化け物扱いするには充分だった)。
力が欲しい。
すべてのしがらみを断ち切れるほどの。
まとわりつくものを振り払いきるほどの。
当然、ある程度年をくった者達は『伝説』としてそれを忘却していたが、
それはそこに有った。
ただその当時は触れるどころか近づくこともかなわなかった。
とてつもない圧力。絶対的な力。
しかし、それは
この世のくだらないものなどいくら束ねようが足元に及ばないほど
魅力的で

美しかった。

 小さく舌打ちをしてザルツは右目を覆った。『聖』の魔力に当てられて邪眼が悲鳴を上げている。―いっそ抉り出してやろうか。どうせ眼球くらい替えは利く。邪眼はそこそこに便利な代物だが。
 めまぐるしく変化する色の渦が周囲を包んでいる。中に入ると、光の洪水と力の流れのせいで、踏みしめているはずの地面の位置もわからない。ここにはいるのは初めてではないが、いまだに違和感を感じる。奇妙な浮遊感。
 地上の何よりも美しい色の渦。他では見ることのできないそれを見ていたかったが、邪眼が痛むので仕方なくザルツは目を伏せた。目を閉じるとより一層、魔力の流れがはっきりと感じられる。天に吹き上げる激流。周囲の魔力に、自分の魔力が同化していく。フィルターがゆっくりと溶けていくように。内と外との境界を魔力が越える。
 ふっと魔力の流れが弱まった。目を開き、名残惜しげにザルツは流れゆく魔力の光を見た。極彩色の渦が、薄らいでいく。ゆっくりとザルツは瞬いた。
 最後にほんの少しの上昇気流を残して、光は消えた。その風もすぐに凪ぐ。
「また75年後、ですか…」
漆黒の髪をかきあげてザルツはつぶやいた。その身に纏う魔力が、明らかに強くなっている。ビフレストの魔力に受け入れられた者の魔力は、その恩恵を受けるのだ。
「さながら、日本の伝説の『ヒコボシ』の心境か?」
「…原典は中国の『牽牛』ですよ。」
笑みを浮かべてザルツは返した。連綿と続く長い長い時の中では短い時間でも、それは長い時間。
「ま、でも待たされる時間が長いからこそこっちも通う気になるんですよ。こんな辺鄙な場所までね。」
空はとうの昔に明るくなり、白日が地を照らしている。今日も、雲一つない晴天になりそうだ。傷みかかった邪眼には少々キツイ日差しになるかもしれない。


afterwards
 ステータスアップSSに挑戦してみました。ようやく今まで謎だらけだったザルツの過去の片鱗が見えましたねー。また新キャラが出まくっています。ゲストキャラですが。だって、同じメンツだけで話なんてそう何度も作れませんよ。不老不死になったいきさつとかもようやっと思いついてきたので、そのうち書きます。
 ようやくまみれの今回、ザルツの本名がようやっとわかりました。シン=ゴンデュール。今回は語感よりも意味を優先しました。
 今回使われた固有名詞の由来は以下です。

アルヴィト―ヴァルキリーの別名の一つで『全知』を表す古代北欧語
シン―原罪。英語。旧訳聖書、蛇にそそのかされて禁断の知の果実を食べたという人類最初の罪。それによってアダムとイヴが楽園から追放され罰として死ぬ運命をを課せられた。
ゴンデュール―これ自体には意味がないが、古代北欧語のゲンドゥル:魔力を持つ者 gondulに由来。ちなみにこれはヴァルキリーの別名の一つではあるがそれはあまり考慮していなかった。
フォルド―北欧神話中に出てくるアサ神(アース神)による『大地』の呼び名。『原』を意味する。
バラック―たしかドイツのサッカー選手。Wカップ中継より。見た瞬間、『バラックって掘っ建て小屋のことだよなぁ…』と思ったのがきっかけ。ちなみに両者の違いはアクセントの位置。人名の『バラック』はバにアクセント、掘っ建て小屋の『バラック』はラにアクセント。ザルツは両方頭にアクセント。G・ヴォルトは完璧に語感命名(またか)。
 ちなみにこのときと現行で北欧がらみの設定が変わってしまっているのがいくつか…(汗)
 それではまた次回。 inserted by FC2 system