【ワラシベ】

観月伽耶


 俺は、不幸ではない、のだと思う。
 別に何ごともない。
 困ったことも特にない。
 その代わりに何か特別なものもない。
 ありきたりなものしかない。
 まぁ上を見たらキリがないんだが、それでも、こんなありふれた毎日では思わずにはいられない。
 なんてくだらなくてつまらない人生だろう、と。
 もっとこう、波瀾万丈な人生ならどんなにか…

「ならば、取り替えてくれませんか?」

「なんなんだお前、なんなんだいきなり」
そいつはにっこりというよりもにやりと、どこかいやらしく笑った。
「刺激的な人生をお望みなんでしょう?なら私と取り替えませんか」
「そんなことできるもんか。というか俺の質問は無視なのか」
「それができるから言っているのですよ」
 なんだこいつ。電波ってやつか?なんかの宗教の人?頭がどっかおかしいんじゃないか。ひょっとして逃げるべき?
 しかしそんな突飛な奴というのも、ニュースやドラマじゃありがちでも現実にお目にかかる事なんて滅多にない。珍しくておもしろいといえばおもしろいかもしれない。あるいはこんなすっとんきょうなことが起こるなんて、俺は退屈すぎてうたた寝でもしてるのかもしれない。
 うん、バールのようなものを取り出したり壺を売る話をしはじめるまでは、こいつの話につきあってやろう。
「人生の取り替えができるって?何、お前、悪魔とか神様とかなわけ?」
「いやいや、スプーンも曲げられない人間ですよ。ただチャンスをもらったんです。それこそ、あれは神様だか悪魔だか知りませんが」
お告げでも受けましたってか。ますますもって電波だな。
「まぁそんなことどうだっていいじゃないですか。あなたは波瀾万丈で刺激的な人生がいいんでしょう?」
「何でそんなことがわかるんだよ」
「見ればわかります。『可もなく不可もなく、あぁ日々ありきたりでつまらない』そう思っている目だ。現に私のような怪しい奴と暇つぶしに話を続けている」
ああ、そのとおりだ。こうも言い当てられるとこいつの電波も少しは正確なんじゃないかと思えてくる。
「具体的には常温で3日ぐらい放置した魚のような目」
「それ完全に腐ってるじゃないか。俺はゾンビか」
前思考撤回。電波野郎は自分の言ったジョークで笑っている。帰ろうかな。
「あぁ失礼、待って、待ってください。私とあなたの人生、取り替えるのはあなたにとってもいい話でしょう?」
「あんたの人生ねぇ」
俺はあらためてそいつを頭の上からつま先までじろじろと眺めた。年は俺より5,6歳ぐらい上だろうか。電波なことをしゃべってなければ顔はかっこいい部類だ、とりあえず俺より男前な顔をしている。少し癪だ。それでスーツを着込んでいるわけだが、これがよく見ればけっこう良い仕立てなようだ。うぉ、時計ブランド物。なんか靴まで上等みたいですよ。嫌みか。それでもって手には鞄。何を入れているんだか。
 俺の視線に気付いて、男は鞄を開けてみせる。壺か契約書が出てくるかと思ったら、なんと札束だ。男はにやにやと笑ってみせる。
「今は私の金、取り替えたらあなたの金ですよ」
「…強盗?泥棒?あるいは詐欺師?」
「いえいえ、きれいな金ですとも。警察が追っかけてきたりはしません」
…つまり総合して、こいつは俺よりルックスが良く、金持ちだ。電波は中身の問題なのでおいておく。
「…俺に話がうますぎるだろ?あんたは大損じゃないか」
「そうですねぇ、『王子と乞食』って話読んだことありませんか?」
「ない」
「現代っ子の活字離れは深刻ですねぇ。まぁ要約すると『外見がそっくりだった王子と乞食が、お互いの人生をうらやましがって取り替える』という話ですよ」
自分は王子気取りか。そして俺は乞食扱いか。
「でも要するにあんたにも得する部分があるってことか?…どっちかというと『わらしべ長者』の方だな」
こんなくだらない人生と、男前で金持ちの男の人生を取り替えられるならば、わらしべとの物々交換で最終的には長者になったあの昔話みたいだ。もっともアレは段階的に良い物に変えていったのが、俺は一気にわらしべと長者の交換をできるわけだが。現代的な解釈じゃ、そんな手短なラッキーもありだってとこか?
「いいぜ、取り替えられるもんなら取り替えてくれよ」

 その瞬間、世界が真っ白く塗りつぶされる。そしてぐるりと回る。

 俺の目の前で、『俺』が馬鹿笑いしていた。
「あはははは!すばらしい!なんてすばらしい!
 どこも痛くない、どこも苦しくない、楽に息ができる、体が軽い!」
 俺はというとぐらぐらとした目眩に襲われている。体のあちこちが痛くて、なんだかもう全体的に重苦しい。吐き気がする。さっきまでこうだったなら、なんであいつ平然としゃべってたんだ。
「ありがとう、そういえば名前も聞いてないけどありがとう!私はこの体で素晴らしい人生を歩ませてもらうから!」
「ふ、ふざけるな…待ちやがれ!」
俺は、駆けだした俺の体を追いかけようとした。しかしあっという間に息があがって、ろくすっぽ走れやしない。ぜぇはぁ言ってるうちに俺の体は駆け去ってしまった。特に体育の成績が良かったわけでもないのに、足が速いな俺の体。いや、今の俺が虚弱すぎるだけだ。
「ち…くしょう!こんなはずじゃ!」
まぁたしかに波瀾万丈だろうさ。刺激的だろうさ。でも俺が望んだのはこういうことじゃない!病院になんかあんまり行ったことがなかったからわからないけど、この金だって病気を治そうとしたらあっという間になくなるんじゃないのか?それ以前に痛い苦しい気持ち悪い。こんなはずじゃなかったのに。こんなはずじゃなかったのに。

「それなら、取り替えてくれませんか?」

 後ろから、また誰かがそう声をかけた。

「ああ、こんなのと取り替えられるならなんだっていいさ!取り替えてくれ!」

 俺は反射的にそう怒鳴り返した。

 その瞬間、世界が真っ白く塗りつぶされる。そしてふわりと軽くなる。

 さっきまで『俺』だった奴が泣きながら笑っている。
「やった!やったぞ!
 腕がある、足がある、顔がある、体がある、生きてる!」
 俺は…俺は、とりあえず痛くも苦しくもなくなっていた。でもなんかふわふわした半透明のものになっていた。え、幽霊って存在したんだ?そんな非科学的な。じゃなくて。
「ふざけんなー!取り替えじゃないだろうこれ!」
「アーアー聞こえない」
「嘘だっ!!」
殴ったら何の抵抗もなく手首から先が頭にめりこんだ。気色悪い。何も感じないけど視覚的に気色悪い。顔から腕生やしたままで『俺』は言う。
「ありがとう、ありがとう!俺、今度こそちゃんと生きるから!」
そしてどこかに行ってしまう。俺はと言うと、勝手がつかめなくてうまく動けない。
「待てよ!待ってくれよー!!」
こんなはずじゃなかった。痛かろうが苦しかろうが、生きてる人生の方が良いに決まってるじゃないか!物に触ることも話すこともできやしない。いきなり幽霊になって、俺どうすればいいんだよ。こんなはずじゃなかったのに。

「それなら…取り替えてあげようか?」

 また誰かがそう持ちかけた。
 …こわくなってきたが、これ以上悪くなるなんてありえない。
 今度こそ、わらしべ長者のように良い物と取り替えられるはずだ。
 俺は、聞こえるかわからない声を振り絞った。

「取り替えてくれ!」

 その瞬間、世界が真っ白く塗りつぶされる。そして…あれ?

 世界は真っ白いままだ。誰かの馬鹿笑いも聞こえない。というか、何も聞こえない。
 え?これ、なに?何が起こったんだ?
 相変わらず手足の感覚もないし。暑いとか寒いとかもわからないし。
 なんだか、 頭もぼーっとして きた。

 やっぱり ゆめ だった のかな ? めが さめる ところ なのか?
 おきたら  あの  くだらない  じんせいの  つづきで

 き が   とお く


















「…また悪戯かい?人間で遊ぶもんじゃないよ」
「いいじゃん、一人の不幸でみんな幸せになったんだよ?」
「彼は気の毒に」
「『わらしべ長者』なんてさ、主人公以外はみんな損してるよ?長者はミカンと馬で娘を嫁に出して。侍は布で馬を持って行かれて。娘はミカンで布を持って行かれて。親子なんてアブをくくりつけたわらしべでミカンだよ?何、そのわけの解らない物体。それにくらべたら、この方がよっぽど良い取引さ」
それは神か悪魔か。どこか観覧席での会話。

2006.11.12

今年の大学祭部誌原稿より。
『こよなく』では綺麗にまとめすぎましたが、こういうシュールなSSの方が、どっちかというと本業です。
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