忘れえぬ白



【1.そうだ、北欧行こう】

 古来より、人間は欲深いものとされてきたがこいつはまた特別だとフォカロルは思う。
 とてつもなく利己的であり、それでいてわかりづらく利他的でもあり。
 禁忌だろうが困難だろうが、望みを諦めるということがなく。これと決めたならば絶対に手を放さない。その他大勢に対しては残酷なまでに軽い手だけれども。
 それを興味深く好ましいと堕天使の公子は評したが、それはあいつから一歩離れた位置にいるから言えるのであって。
 俺が今一言で評するなら、なんだこのオーバーワーク。

「フォカロル、何考えてようがかまいませんが手は止めないでください」

 自分の手元から視線も上げずに、ザルツが言い放つ。
 言っておくがサボってはいない。ただ、そろそろ頭が回らなくなってきただけだ。
 俺、拠点破壊とかの大規模攻撃がメインで、こういう書類仕事とか専門外な魔王なんだけどなー。上司に恵まれなかったときはスタッ○サービスだが、契約者に恵まれなかったときはどこに電話すればいいんだろう。
 などとフォカロルが現実逃避しているかたわらで。同じくデスクワーク苦手組のロードは、突っ伏して机と仲良くしていた。

 何であいつあっちには何も言わないんだろう。

 それを問いただすと、今度こそプライドに致命傷をくらいそうなのでフォカロルは黙っていた。いいかげんにザルツの思考パターンもわかってきている。特にこういう、忙しくて疲れているときなんて、絶対につついてはいけない。普段のアレでさえ、まだ相手のことを思いやって控えめに言っていたのだと、先日思い知ったところだ。

 紙の擦れ合う音、ペンの走る音。
 そんなものが耳に付く静けさの中。
 がたんと音を立てて、ロードが立ち上がった。

「そうだ、北欧行こう」

 どっかの鉄道のCMであったな、そんな感じのフレーズ。
 ザルツは顔を上げてさらりと、

「そうですね、行きましょうか」

同意した。

「って、良いのかよ!?」

 てっきりコンマ0.5秒で却下が来ると思っていただけに、自分も席を立ってフォカロルは声をあげた。
 いくらなんでもこいつには甘過ぎじゃないのか。
 言い出したロードさえも少し驚いた顔をしている。
 ザルツはペンを置いて、頬杖をついた。

「もともとそのうち行く予定でしたしね。ほら、今年は約束年でしょう」
「ん、今年何年だっけ?そっか、早いなぁ」
「前半は暇してましたしね」
「ああ、その暇がなつかしい」
「それにシディアの件はダリスにも聞いてみたかったし」
「そだな、ちゃんと生きてるかなー」

 二人の間ではぽんぽんと話が進んでいく。フォカロルはすっかり置いてけぼりだ。
 わざとなんだろうなと思える方と、悪気ないんだろうなと思える方はどっちがタチが悪いのだろうか。
 ともかく、この書類地獄から解放されそうなのはラッキーだ。
 ロードもそれは同じだ。さっきまでぐったりしていたのが嘘のような笑顔で、ロードは言う。

「それじゃあさっそく、」
「残りを片付けるとしましょうか」
「えー!?」

 体半分ぐらいもう机から逃げる体勢だったロードだが、無情にもザルツに割り込まれた。
 小さくため息をついて、ザルツは笑う。

「当たり前でしょう、この書類ほったらかしていけるわけないじゃないですか」
「いや俺は行く!敢えてほったらかしてでも行く。ていうかもうデスクワークいやだ。いやだったらいやだ。」
「…ロード。考えてもみなさい」

 駄々っ子と化したロードに、一拍おいてザルツは話し始める。

「放置していきたければそれでもいいですけどね。その場合帰ってきたときに待っているのは更なる地獄ですよ。
 三瀬の情勢はさらに混沌を極めるでしょうし、せっかくここまで狭めたギュプロムの追跡情報も水の泡。梁山泊もどう動くやら。
 ただでさえ後手後手なんです。ここで手を抜いたら更なるツケが来て、やってもやっても追いつかない・終わらないデスマーチと化しますよ。デスクワークの分量も何倍ぐらいになることか。
 それとも何ですか。あっち行きっぱなしで帰ってこないつもりですかあなたは」

 逃げたいなら別にいいですよ、とザルツはつけ加える。
 その言葉が自分に向けられていたなら、喜んで逃げたいとフォカロルは思うのだが。
 小さくうなってロードは椅子に腰を下ろした。

「そういう言い方卑怯だろ」
「そうですか?」

 笑ってザルツは再びペンを手に取る。

「それじゃ、がんばるとしましょうか。
 先に楽しみが待ってると思えば少しはちがうでしょう?」
「はいはい。しゃあない、気合い入れ直すか」

 ロードは放り出した書類を手に取る。あれ、このページの続きどこだっけ。
 くるりとペンを回して、もう一度文字の羅列に意識を下ろしていく。
 今日でどれだけ終わるだろうか。明日、明後日…でも厳しいよなぁ。
 まぁたまには限界まで頑張ってみるか、うっかり超えちゃってもどうにかなるんだし。
 そう思いながらも、一度切れてしまった集中力というのはなかなか戻らない。
 ふと視線を上げると、納得いかなさそうな顔のフォカロルと目が合った。完全に手が止まっているフォカロルに、ロードは苦笑いする。

「ほら、フォカロルも頑張ってくれよー。やらなきゃ終わらないんだからさー。」
「いや、俺頑張る理由ないし」

 むしろ何でお前はそんなにやる気なんだ、と言いたげな顔をフォカロルはしていた。

「北欧って何かそんなに面白いものでもあるのか?」
「んー、面白いっていうか、特別っていうか。」

 おもしろい、というならば黒川市のほうだろう。そのおもしろさゆえに、今は厄介なことになっているが。
 興味深い、というのも捨てがたい形容詞だが。
 それ以上に、あの白い町は自分たちにとって特別な場所だ。
 故郷であり、聖地であり。
 愛着では軽すぎる、憧憬というほど遠くなく、好きな町と言っては薄っぺらすぎる。
 もっともっと特別な。

「ああそうだ、昔っからの友達がいてさ」
「フォカロル」

いつの間にか顔を上げていたザルツがにっこりと笑う。

「無駄なことを気にしている余裕があるんなら仕事をしなさい。
 あんまり使えないようだったら、外に出て深さ2メートルの穴を掘っては元通り埋める作業でもさせますよ。休みなく繰り返し。」
「どこの捕虜虐待だ!?それこそ無駄だろ!?」
「まったくの無駄でもないですよ、私の気が晴れます。少しだけ」
「ほんの少しの気晴らしのためにそんなことさせるな!ていうか、俺をもうちょっとマトモに使えよ!」
「あなたがマトモに使えるなら、私もそんなことさせようなんて思わないでしょうけどね」

 非の打ち所のない笑顔と、台詞の内容が全く合っていない。
 それにしても、ひょっとして俺は一生その扱いなのか?
 一時期やたら不運な攻撃ミスが続いたのは、あくまで一時の話のはずなのに。

「そのへんにしといてやれよー」
「ロードもあんまり無駄口が過ぎると、鏡に向かって『お前は誰だ』と50回ぐらい言ってもらいますよ」
「いや、俺それシャレにならなさそうだし」

 何せ、ただでさえ『自分の顔』がはっきりしない身の上なのだから。

 手元に視線を戻しながら、ロードは呟く。

「別にいいじゃん、どうせ行ったらわかるんだし」

 お前ときどき秘密主義すぎるぞ、と言われてザルツはふいと目を逸らす。

「別に、行ったらわかるようなことをわざわざ言わなくても良いでしょう」
「まぁ、そう言っちゃえばそうなんだけどさ」
「それ、終わらなかったらロードだけ置いていきますよ」
「お前それ本っ当卑怯だから!」

 ザルツなら冗談じゃなくやりかねない。
 慌ててロードは仕事に戻る。
 目の前にはいまだ手つかずの書類が、束というより山になっている。
 白は白でも、上質紙の白って目に痛いよなぁ。と、集中しきれない頭で思った。

 あの町にはきっとまだ雪があるだろう。






++
 本編気合い入れて終わらせるよ企画ようやく始動。
 今進んでるところまで見渡したら、ザルツたちが明らかにオーバーワークです。いろいろ引き受けすぎ、抱え込みすぎ。
 『無駄に穴を掘っては埋める』『鏡に向かって「お前は誰だ」と言い続ける』は第二次世界大戦中の捕虜いじめネタから。あまりに無意味な行動に鬱を発症したり、一種の自己暗示で自己概念が崩壊したりしたそうなので真似してはいけません。 

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