忘れえぬ白
【2.虹の丘より白き泉へ】
真っ白に彩られた丘に黒く、大きな鳥の影が落ちる。
「おー!やっぱりまだ積もってるな」
日本ではもう春といって良い時期でも、こちらではまだまだまだまだ冬だ。日本の価値観に合わせるなら、向こうが初夏を過ぎてもまだ春になるかならないかぐらいである。
長い長い冬と短い春と秋、その束の間に幻のような夏。
ここはそういう場所だ。
風はぴりぴりと冷たく、雪のにおいがした。
うんうん、いいよなこの空気。
ロードは一足先に地面に飛び降りた。ざくざくと足下の感覚を確かめ、とりあえずは。
「いやっほーい足跡付け放題ー!」
全力で駆け出してみた。
「…犬かあいつは」
「散歩を数日間おあずけ食らった犬ってところですね」
ああ、そのたとえはとても的確かもしれない。この数日の修羅場を思えば。あまり思い返したくもないが。
それにしてもよくこの雪の中をあんなにさくさく駆け回れるなぁと、フォカロルは呆れ半分で感心してしまう。さすが地元民。
「って、どんどん行っちまうけどいいのか?」
ザルツは追いかけたりとか呼び止めたりとかするそぶりもなく、ただロードを目で追っている。
「まぁ、どうせそろそろ…」
ざくざく。
ざくざく。
ざくざく。
ぼすっ、ずしゃあ。
すう、と大きく息を吸ってザルツは声をあげる。
「気は済みましたー?」
「はーい」
ああ、いくら地元でも限界はあるのか。
どうも周りより雪が深いところに足を突っ込んだらしく、派手にすっ転んだロードはそのままの体勢で良い返事をした。
がばっと起きあがり、慣れた様子で深みから脱出する。
雪を払い落としながらざくざくと、ロードはこちらに戻ってきた。
「…何しに来たんだお前ら」
万感の思いを込めてフォカロルは呟いた。
雪にはしゃぐ成人男性(中身はもっと年上)だとか、荷物を抱えたイスラエルの魔王だとか、人を3人乗せてきた馬鹿でかい漆黒の鳥だとか。
邪眼持ちのザルツがかすむぐらいの異様な光景を見とがめる者は、このだだっ広い雪原に誰も居ない。
ここは忘れ去られた神秘の地、ヒミンビョルグだ。
人家はまばらに遙か彼方。辺鄙きわまりない土地である。
多くの人に忘れられようが存在し続けるビフレストも、ついこの間開いたばかりで、次の奇蹟は70年以上後だ。
こんなところに何をしに来たというのか。
「まさか次は雪合戦とか始めるんじゃないだろうな」
「あ、やる?公式ルールには人数足りないから、自分以外全員敵のバトルロワイヤル方式で」
ぎゅもぎゅも雪玉を作り始めるロードを、ザルツは直接はたいた。
「いいかげんにしなさいロード。せっかく作った貴重な時間なんですから」
「わかってるって。じゃ、そろそろ行くか」
「行くって、目的地ここじゃなかったのか?じゃあ何でこんなところに」
冥界から亜空間経由できたのだ。この世界のどこへだろうが、直接目的地に移動できるはず。さすがに人の多い場所にニックスで舞い降りるわけにはいかないだろうが、この近くに何かあるようにも見えない。ビフレストのないときのこの周辺は、本当に何もない片田舎…というよりも原野といった方がいいような場所なのに。
ふふん、と得意げにロードは笑った。
「まぁ大人しくしてろって」
「ここからが一番行きやすいんですよ」
すっと二人のまとう空気が変わる。
そこに立つのは、人間でありながら不老不死を得たという奇蹟にふさわしい、魔術師二人だった。
「―請う。過現未の支配者よ。白き泥の泉、世界樹の守り手よ。」
「始まりから終わりまで、その目を逃れるものはなく。太陽の東月の西までも、あまねく道をその手の中に。光であり闇であり、産み滅ぼす女神よ。」
「最もルーンを知り、律を成し。その声は世界を描き、その指は世界を紡ぐ。」
雪原を光が走る。ぐるりとフォカロルとニックスまで囲い込み、ルーン文字が輝く。
「誓いをここに。証に我が名は貴女のもとに。」
「我が命と運命は、常に貴女とともに。」
「請う。我らに許しを」
「貴女の庭へ続く扉を」
目を潰されそうなほどの閃光が奔る。反射的に閉じた目を開くと、世界の装いは一変していた。
くるりと芝居じみた仕草で振り向き、ロードは高らかに宣言した。
「ようこそ!我らが女神の庭、オラシオンヘルムへ!」
++
ロードの大はしゃぎっぷりには、作者も呆気にとられました。
ごめん、そんなにデスクワークは嫌だったか。
ヒミンビョルグとビフレストについては『虹の袂』を参照。
あの頃考えてた設定と今考えてる設定がちょっと変わってしまったので、矛盾が出てしまっているのですが。ああ書き直したい。