忘れえぬ白



【3.オラシオンヘルム】

 軽く鼻歌を歌いながら、ロードが先頭を行く。ここについてからというもの、ただでさえ良い機嫌が天井なしに上がっているようだった。水を得た魚のよう、とはまさしく今の彼のことだろう。
 ロードのようにわかりやすく浮かれる可愛げはないが、ザルツも調子がよさそうな雰囲気が伝わってくる。

 この場所をロードが『特別』と称した理由はすぐにわかった。ここは一種の聖域、いや神域だ。
 空気にふんだんに、贅沢に、これでもかというほどに魔力が満ちている。清らかで、それでいて混沌として。吹く風は甘く甘く、酔ってしまいそうなぐらいだ。
 ここほど魔術師という魚に合った水をなみなみとたたえた泉は他にないだろう。
 現に、行き交う人の中にも魔術師がわらわらといる。
 人でない気配のあるものもちらほらと。そこをさらにフォカロルが歩いていても、全く違和感はなかった。
 きょろきょろと周囲を見ているフォカロルに、ザルツは声をかける。

「ちょっとは落ちつきなさい、子供じゃあるまいし」

 物珍しいのはわかりますが、とザルツは苦笑いした。

「ここは武に優れようが知に優れようが財に優れようが、来ることができるとは限らない場所ですからね」

 『祈り』の名を冠するこの場所に、自ら至れる者は限られている。
 有能だろうが何だろうが関係なく、女神の寵愛のないものはオラシオンヘルムに踏みいることはできない。

「あなた一人なら多分、来たくても来られませんよ。」

 なにせ異郷の魔王。縁の欠片もない。そして何より、ここの女神に嫌われてるんじゃないかっていうぐらいの不運。
 ザルツとロードが囲い込んで飛んだため無事に辿り着けたが、ひょっとするとフォカロルだけどこか別の場所に放り出されるか、最悪どこにも辿り着けない可能性もゼロではなかった。その場合、特殊な亜空間の狭間行きだ。流石の魔王でも、抜け出せるかどうか。
 そんなことを今更聞かされて、フォカロルは背筋が寒くなるのを感じる。

「まぁでも、そんなことにならなくて良かったですよ」

 にっこりと笑ってザルツは言う。ああ、本当に機嫌が良いらしい。だが。
 胡乱そうな目でフォカロルは問いかける。

「荷物が行方不明にならなくて、ってオチだろ?」
「なんだもうバレましたか」

 ほらやっぱり。やさぐれてフォカロルはそっぽを向く。
 活気のある人波、白く綺麗な石造りの町並。
 人間の性格は環境で決まるだとか言った奴出てこい、なんでこんな良い町でこんなひねくれ者が育つんだ。
 思わず仰いだ空は北の大地にしては鮮やかに青く、澄み渡っている。そこに走る、白いいくつもの線。雲とは違う、光の筋だ。それは幾筋にも別れて四方へ延びている。この町の中心とおぼしき場所から、天へと登る柱のような光から。それはこの場所のありえなさを象徴しているかのようなオブジェだった。
 ふむ、と小さく考えて、フォカロルはロードに呼びかける。

「なぁロード、あれってやっぱり『世界樹』なのか?」

「大正解っ!」

 ロードは勢いよく掌を掲げて、それを指し示した。

「はい前方あちらに見えますは、このオラシオンヘルムの象徴にして神秘の結晶、いわゆる名物。北欧神話に名高い世界樹『ユグドラシル』の一枝でございまーす!」

 まるでB級バスガイドのようなノリで、ロードはまくしたてる。ある意味すごい、せっかくの神秘が何だかとっても安っぽく聞こえる。

「高台から眺めるのもいいけど、やっぱりお勧めはかぶりつき席。すぐ近くまでいけるんだぜ、ほらほらこっちこっち」

「はいストップ。」

 今にも駆け出しそうなロードの襟首を掴み、ザルツは告げる。

「すぐそこなんですし、先に用事を済ませますよ」

 この町に着いてから初めて、ロードが嫌そうな顔をした。

「えー?後で良いじゃん後で」

「そうやって嫌なことを後回しにするから、あなたはいつも焦ることになるんですよ。
 どっちみち行かなきゃならないんですから、さっさと済ませてしまいましょう」

 そういうザルツも、少し嫌そうにため息をついた。すたすたとロードを追い越して先に行く。

「はいはい、それじゃもう1個の名物行こうかー…この角を右に曲がりまして、しばらく歩きまーす。で、これがそう。」

 かなりテンションの下がった似非ガイドが指し示した店は、眠る竜の紋章を掲げていた。店の名は汚れてかすれ、かなり読み辛い。

「名前は『竜の窖』…まぁ、竜って言っても色々いるけど、ここの場合はファーブニル」

 古びた扉は、きしんだ音を立てながら開いた。薄暗い部屋、うっすら埃さえ積もりかかった棚。中の空気は淀みきっていて、まとわりついてくるかのようだった。
 ザルツは一直線に、店の奥へと足を進めていく。
 一番奥のそれが何なのか、初めフォカロルにはわからなかった。あまりにもたくさんの皺に覆われた、濁った灰色。

「うわ、一段と人間としてあり得ない色に」

「え、あれ人間なのか!?」

 ロードの呟きに対して、フォカロルは思わず聞き返した。
 確かにそんな形をしていなくもないが、ミイラにしたって劣悪なものだ。
 しかし、ザルツが音を立てて机を叩くと、糸を引いたような瞼が、裂けるように開かれた。

「お久しぶりですね。まだしぶとく生きていてくださって嬉しいですよ」
「そちらこそまだ生きておったか。重畳重畳」

 がさがさとした声で、彼は低く低く笑った。ザルツも小さく笑いを返す。
 しかし二人の視線は、言葉とは真逆の感情を雄弁に物語っていた。

「今年は約束の年ですからね。代価を払いに来ましたよ」


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 ぶらりオラシオンヘルム夢気分。
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